昨日の収穫ー古本とバー

2011年5月15日

昨日も夕方、いつものごとく近くの古本屋を二軒のぞきにゆく。
一軒目は収穫なし。
二軒目は川沿いの古本屋。
先週入ったときにはその書棚の場所には無かったはずの本が目に飛んできた。池波正太郎のエッセイの一冊で絵のたくさん入った本。探していた一冊である。本の中の紙も焼けてはいなく
とてもきれい。もちろん初版である。古本と言いつつ新本のときの値段とおなじ。
すぐに買う。
このところ、古本屋には以前から探していた本が見つかる機会が多い。そんなことを話してなぜだろう?と本屋さんに尋ねたら理由が判った。
震災以来、本が書棚にたまりすぎて倒れてきたとかで身の危険を感じた人たちが整理して売っているからだそうである。今、古本屋は宝の山!?
うれしくなって、ちょっと遠回りをして家に向かったら`ギネスのドラフトあります‘と黒板にチョークで書かれた看板を発見。まだ十分明るいにもかかわらず看板に惹かれてそのバーに入る。
ギネスのドラフトを注文。イギリスのバーのようにワンパイントのグラスででてくる。
奥行きの深い長いカウンターがありカウンターの背後にはボトルがたくさん並んでいる。そのほとんどがウイスキーというかなりハードなまさに英国風のバーである。
目の前に並んだサーバーを見ていたら一つ見慣れないサーバーがある。銘柄を聞いたらビールではなくシードル。それもイギリスから輸入している、これまたドラフトのシードルだそうである。
我慢できず、でもワンパイントは飲めないので半分だけもらう。しっかりした濃さで甘さも控えめな夏にはぴったりの飲み物。
バーテンさんもしっかりロンドンで修行してきた人。店の名前はTriple Crown,場所は中目黒から大橋に向かって野沢のほうに行く道との交差点を野沢方向に入って一本目を左に曲がった左側。

権利とそれにともなうもの

2011年5月14日

世の中、せちがらくなってくると権利主張が増えてくる。
既得権にしがみつく見苦しさも見えてくる。
権利はおうおうにして声だかに主張することによって確保
できたり、主張される側は変に説得されてしまうことが
よく見られる。
これは、とくに、日本国内においてである。
その根本はどこにあるのだろう、と昨今気になっている。
大局的な話をすれば、電力会社の地域独占体制である、
これは明らかに電力会社の独占権である。多分、電力会社
はいろんな理由を挙げてこの既得権を主張するだろう。
その主張に対する議論において、主張している側の論点が
果たして権利と対応したものかどうかは考えずその主張の
妥当性だけで判断してしまう恐れがある。
なず、権利が与えられている、ということには必ずそれに伴った
義務が存在する。
義務の遂行を条件に権利が与えられているのである。
ところが、時間がたつと往々にして権利保持者はその義務を
忘れて(あるいは忘れたふりをして)権利のみを、そのときの
都合の良い理由をならべたてて主張する。また、判断する
方にも、権利とは何か、と言うことがわかっていない場合が
多いので権利主張側が並び立てた理由だけで判断しがち
である。
権利には必ずそれにともなう義務がある。
義務が遂行されない限り、権利は存在しない。
また、義務とは求められていることだとしたら、それを最適
仲たちで実現するのはかならずしも特定のところに独占的
に権利をあたえることではないことがある。つまり、権利と
義務の最適なあり方、あるべき形は時間と状況の変化に
応じて変化することを知る必要がある。
つまり、今の権利が決められたときの時代背景と現在の
時代背景が変わっていたなら当然権利と義務の関係も
変わるべきか見直されるべきなのである。
このように見ると社会的体制においては数十年の期間を
へて変化の必要のあるものが残っている。
事業の経営においては環境変化が社会の体制の変化
よりももっとスピードが速いので2,3年の単位で権利と
義務の関係が変わるべき状況になることが多い。
今のスピードの時代に毎年でも、事業の中における
組織が持つ権利と義務を見直さないとあっというまに
事業体制は陳腐化し事業スピードの低下と不振を招く。
この時期、どこの企業でも組織変更があったり経営者の
交替がある。組織変更はおおむね人事異動のみが注目を
浴びるが本当に必要なのはその機会に組織のそれぞれの
必要性とそこに付与されている権利と義務の関係の確認
と、sの認識の徹底である。

想定内か想定外か

2011年5月13日

昨晩、ある会合にでかけた。
一年に一回ある顔合わせでその都度若干のメンバー変更がある。
例によって自己紹介があり司会者からの指示で最近かんじたことなど、
と言うリクエストがあったので、ほとんどの人が震災と原発事故の
話をしていた。話は状況についての印象で、その状況を知ってなにを
考えたのか、その肝心なところがほとんどの人の話では聞けなかった。
悪い言い方をすればメディア報道の受け売りの範囲である。
あまり原発事故のことは書きたくないのだが事故そのものよりもそこから考えることがあったので書くことにした。
いまさら何がおきようとそう驚く話ではなくなっていると思う。
昨日も一号機のメルとダウンの報道があったが、この記者会見の一部が報道されていたのでその範囲で考えたことだが、果たしてこの状況は想定内のことだったのだろうか?あるいは想定外のことだったのだろうか?もし、想定内の状況なら第二、第三の対策が用意されていて、すぐにそれに着手できるはずである。ただ、報道では次の手についての話は無かった。
もし、想定外だとしたら、この程度のことで想定外であるのなら、彼らの言う想定外は当てにならない、たんなる思慮不足ということになる。
すぐに第二、第三の対応の話が無かったということからみると想定外だったのかもしれない。普通に考えれば想定内のことだと思うが、、、
すくなくとも自分にとってはいまさらおどろくべき状況ではなく、もし驚くべきことがあるとしたら、これが当事者にとって想定外であった場合である。

新学期

2011年5月12日

今年は災害の影響で新学期の開始時期が一ヶ月遅れて
今週から講義が始まった。
新学期の楽しみは新しい学生の顔を見ることである。
どういうわけか毎年タイプが変わる。
おととしは男女比率が55:45.
結構元気の良い学生たち。
去年は男女比率が60:40.
比較的おとなしい学生だった印象がある。
これまで一時限、つまり9時から講義をしたのだが、去年の講座の
終わりにアンケートをとったときに2次限目以降にして欲しいという
要望が何件かあったので今年からは10時40分からの二時限目で
講義をしている。
今年の学生数は22,3名で学科の学生のほぼ半分である。
今年の連中は明るく軽やか、と言う印象だが、初日の印象だが
替わるかもしれない。
目に付いたのはメッセンジャーバッグ。男子学生の半分はあのテント
の古生地で作ったようなバッグを斜めがけにしている。
大学生にもなって、そんなに流行りモノに飛びついてよいのか?と
いう気がしたが服装もそれほど画一的である。
それもこの大学の校風なのか、ちょっと世の中よりも遅れているところ
まで揃っている。

女装家って、、、

2011年5月 8日

最近元気な人は誰だろう?
i一時期のようなIT長者も鳴りを潜めたし、月給が普通のサラリーマンの年収以上稼ぎまくっていた外資金融系もほとんどシンガポールと上海に出て行ってしまったし、、、、大企業の経営者は想定外のトラブルに見舞われ、一日も早く職から離れたいと思っているだろうし、、、
そんなことを考えていたときにはっと気がついた元気な人たちがいる。
判ったような判らないような、きっとテレビ局が名づけたのだろう‘女装家‘という人たちである。
この人たち、テレビを見ている限り、日本の25%は女装家ではないか、と思うほど存在感がある。とても総理大臣とか経団連会長の存在感の比ではない。
しかも同じカテゴリーに分類できるであろうひとでも`女装家‘というキャプションがテレビの映像上に出る人もいれば出ない人もいる。
そんな区別無く、この人たちはとても元気で生き生きしている。
しかも、小気味の良いほど切れ味のよい発言をし、聞いている、あるいは見ている人の気持ちをすっきりさせる。見ている人の思いをずばり代弁してくれているからであろう。
女装家ではない人たちがなかなかずばり言えないことを、この人たちはなぜ発言できるのか?
それぞれの女装家の人たちが持っているキャラクターとか能力だからか?
しかし、それ以外の多くの人のなかにも十分な能力を持った人たちがいないはずはない。たとえば、ビートたけしのように。
女装家の全員が切り口の鋭い発言ができるのには何か理由があるはずだ。
なんて、考えていたら気がついたことがある。
いくつか例を挙げてみよう。
普段掛けないサングラスを掛けたとき、なんとなく強くなったような気はしないか?
パーティーで仮面、つまりマスク、をつけたとき普段では考えられないほど大胆にならないか?
普段はジーンズにラフなシャツとセーターなのに、たまにびしっとスーツで決めたときなんか、発言も芝居がかったりしてはいないか?
つまり、自分の本質の見えない装いをしたとたん、意識が変わり、態度も発言も変わってくるのではないだろうか?
自分を女装という形で覆ってしまうことにより、そのとたん、とてもパワフルな仮面をかぶるのでよけいな気遣いをすることなく、ずばり本音をぶつけられるのではないだろうか?女装というプロテクターを着けているから世の中が怖くなくなるのであろう。
あの女装家の本音発言は実は男の本音発言ではなかろうか?
テレビ局にこの際お願いしたいのは、男女同権の世の中である。ぜひとも男装家と言う人たちもテレビに登場させてもらえないだろうか。
その人たちを通じて女の本音を聞いてみたいのだが、、、、

送電と発電の分離

2011年5月 7日

今回の原子力発電事故と、かねてから言われている日本の電気料金の高いこととを思い合わせて、現在の競争の無い地域独占事業体のあり方について疑問をもっと人は多いのではないか。
さて、そうはいってもどのような規制緩和があるのか難しい問題ではないかと思っていたら数日前の新聞に送電事業と発電事業を分離する案の記事が出ていた。
確かにそういわれてみると発電と言うことと送電と言うことはこれまで一体で見ていたが何も一体でなくてもよい。
たとえば現在の東京の電車と鉄道の関係を見るとひとつのヒントがありそうだ。
同じ線路の上を複数の鉄道事業者が乗り入れていてそれがゆえに乗り換えの手間が省けて乗客にとっては便利であり、しかも乗客はどの鉄道の電車を利用しているのかを意識することなく利用できている。
これを見習うといくつかの送電網が存在してそれが相互に接続されていて広い範囲での送電網を形成しているところにいろんな発電事業者の発電所が接続されそこから電気が送り出されていき、利用者はどこの発電所で作られたでんきであろうと均一料金で利用し、集められた料金は事業者間で配分されればよい。このネットワークに接続される発電所のひとつとして企業ガ行う火力発電などの自社の発電所もあるだろうし、太陽光発電事業者もあるだろうし、家庭の太陽電池あるいはガズから燃料電池による発電などがありうる。
公共性という点からは鉄道も公共事業である。
電気は公共事業だから送電と発電が一体化した現状の地域独占が一番よいのだ、と主張する電力会社の意見はこのように鉄道と対比してみると詭弁としか思えない。
電気自動車の普及もあわせて考えるといまが新たな電力サービスの政策を作る絶好の機会ではないだろうか。

ルドルフ ジュリアーニのインタビュー

2011年4月27日

日経新聞が8回にわたって一面で大震災、日本を立て直すと言うタイトルで特集をやっていて、今日が最終回。
登場したのは9.11のときのニューヨーク市長だったジュリアーニ。ニューヨーク市長はいろいろ面白い人が多い。コッチという人はゲイパレードで堂々と先頭を歩いた人。
クオモは大統領を期待されながらイタリア系移民固有のマフィアとのつながりを憶測され、大統領選には出なかったが、それほどにパワフルなイメージの人。
現在のブルンバーグはご存知ブルンバーグのオーナー経営者。
このジュリアーニも病気で大統領選への出馬を断念。
今日のインタビューではどこかの首相とはちがい、納得できる話をしている。
いつものとおり振舞うのが危機を克服するのに一番。
事件の4日後に遺族に聞いた時の遺族の意見だったそうである。
ちゃんと現場の事実を踏まえた発言。
元気付けるには、人々の目を未来に向けさせ、いつまでもこの状態が続くわけではない、と思わせること。
どこかの国ではいつ終わるのか果てしない、と思わされている。
個人の欝と同じで社会の欝は先行きの展望の欠如だ。
普段通りに暮らせば経済も活性化する。それを伝えるのが指導者の仕事だ。
危機管理で大切なのは指揮と制御だ。誰かが必ず責任を負わなければならないし方向性を示さなければならない。
指揮で大切なのは`ワンボイス‘だ。
私は当初は一日3回、その後は2回、記者会見をしたが、州知事をはじめ関係者が同席し専門的な事柄も含め全ての情報をその場で取材できるようにした。
など、一読に値する。

謎解きはディナーのあとで

2011年4月27日

めずらしくベストセラーっぽい本を買った。
‘謎解きはディナーのあとで  東川篤哉著、小学館発行、1575円
これはブックオフではなく、ちょっと時間つぶしに覗いた本屋で買った。
買ったのは、装丁のイラストの面白さ、本屋大賞第一位!!と、いかにも売りたさありありのコメント,それにお嬢様刑事と冷静な執事というキャスティングにひかれたからである。これ、全て本の表紙からだけの情報である。
中身は6話からなるコミックミステリー。
非現実的というか、現代の御伽噺風キャスティング、予定調和の筋の運び、ほどほどのミステリーとその長さ、、、で一気に読んでしまった。
読んでいて気がついたのは時代捕り物小説の構成と極めて似ていることである。
娯楽時代小説のファンにもおすすめの、肩のこらない、頭の休息の一冊。

NHKよ、なぜ安易に増税のシナリオの尻馬に乗るのか?

2011年4月20日

先日、NHKのテレビを見ていたら`調査によりますと増税に賛成が30数%ありました。‘などと涼しげな顔をしてアナウンサーが話していた。
つい先日、前会長の約束であった視聴料の10%削減を震災を口実に撤回するというような発言に追いかけるように、である。
増税支援の意見があるのだから、視聴料削減の撤廃もよかろう、という魂胆が見え見えである。この際我々は政府の一部の増税願望者の尻馬にのるNHKを国民の視聴料で運営されている放送として支持する必要があるのだろうか?
増税に関する議論、調査は国債残高の大きさによる脅迫との抱き合わせであり、しかも、対案の提示なしに賛成か反対かを聞く誘導尋問方式とも言える調査である。
ここまでくると、決して好きな政治家ではないが、亀井静香の提案している災害復興目的国債を発行しその国債には相続税に関する優遇制度を与えることによって相続税に敏感な金持ちに国債を買わせよう、という案に大賛成である。特別な国債だから償還期限を長く設定し、その国債に関しては相続税減税を適用する代わりに国債は無利子とする案である。
平常の歳出不足の補填に国債を発行するよりはこのようなときにこそ目的を明確にした国債を発行することは国民の理解が十分得られるはずである。
多分、900兆円もある国債残高はどうするのだ?ポルトガルのように国家がデフォルトになったらどうするのか?と言う疑問があるだろう。しかも最近流行のジャックアタリの本を読んだ人はとくにそう思うだろう。しかし、彼の日本に関する指摘には重要な点が少なくとも二つ抜けていることを知る必要がある。ひとつはよく指摘されている国債の95%は日本国で消化されているということと、もうひとつは事実確認が必要だが日銀は100兆円に及ぶ米国国債を保有していて、しかもさおの大半はNY連銀の地下の倉庫にあるといううわさである。多分、G20の参加メンバーはこのことを踏まえて先日のような日本経済に対する評価をくだしたのであろう。
日本の国債残高がもし深刻であれば先日のG20のような日本には十分回復力がある、と言うような判断は示されないだろう。むしろつみあがる国債残高にくわえて災害による資産のロスで日本の経済はきわめて危機的になる、と言う判断がしめされるはずである。
ここに、国債残高を脅迫の手段につかうところと日本経済は十分復旧の力がある、という判断の間に矛盾があるのだが、知っていてそれを会えて切り離して扱おうと言う姿勢、あるいはその点に気がつかないのは不思議ではないか?

酒の肴、ヒント集、ブルータスの最新号

2011年4月19日

一日に複数のブログを書かないようにしているのだが、今日は紹介する雑誌が売れてしまうとまずいのであえて書くことにする。
ちょっとした料理をするのは好きなのだが最近自分のメニューにマンネリを感じているひと、おおいのではないだろうか?
家族も何十年も連れ添っているともう新しいメニューがでてくるなど、稀有である。しかも、ほかの欲望とともに食欲も衰えてくると新しいものをたべようとせず食も惰性に陥ってしまう。
せめて、酒の肴だけは定番だけでなく、何か新しいものでも、、、とおもっている人に格好のお料理ガイドブックを紹介する。
昨日、オフィスの人から見せてもらった雑誌、今発売中のBrutasでおいしい酒場特集をしていた。見せてもらった理由は、そこで大々的に取り上げられている富ヶ谷から東急本店への一方通行の道を入った右側のコンビニの裏にあるワインバーの`アヒル‘に行きたいのだが混んでいて予約がとれない、、、という予約を取る相談だった。
アヒルだけでなく、たくさんのバル的酒場が紹介されているのだが、そこで紹介されているのはその店の看板となっている酒の肴、多くはワインのおつまみ料理である。
そんな店が評判なのもこの小皿のおつまみ料理が人気だからである。
ページを繰っていて、はっと気がついた。これは人気のあるバル料理の本ではないか!もちろんレシピは書いていないが写真があり、何が使われているか材料は判る。変にレシピが書いてあってそれにとらわれるよりも材料と写真から自由に自分の好みで作ることが出来る。
素晴らしい小料理ヒント集である。ぜひ週末の楽しみに入手されることをおすすめする。
なお、その中のかなりのものはデパ地下などでデリ商品として買えるモノがある。デリ商品にちょっと手を加えることでバルに匹敵する小料理を作ることができる。
幾つもの種類を作ると一人とか二人だと材料がムダになりやすいがデリ商品を少量ずつ買ってくればその無駄も出ない。
理想的には6人くらいで、白ワイン1本、赤ワイン2本、スパークリングワイン1本を仕入れて集まりそれぞれが一品の料理を持ってくれば盛り上がる。
アヒル風マイルームバルの開店である。もちろん、持ち寄る料理はあらかじめ有名バルの料理からピックアップして分担して作るのである。
ワインは一本1500円も出せば十分であるが、それは集まる人の懐具合次第である。