松丸図書館

2010年2月16日

丸の内の丸善本店のなかに松丸図書館と言うところが出現した。
東京駅の丸の内のオアゾのなかに丸善の本店がある。
一階から四階までを占める巨大な書店である。
その書店のなかに最近松丸図書館というかなり大きなコーナーが
できた。書店のなかの図書館であるが、単なる図書館ではなく
底に展示されている本は買うことができる。
松丸図書館と言う名前は松岡正剛の松と丸善の丸をとってつけた名前である。
この図書館には松岡正剛がネットで発信している千夜千冊に登場する本が集められている。
千夜千冊はもう千冊を超えたから個々に展示されている本の点数は千冊をこえているとおもう。
千夜千冊に出てくる本が並んでいる、と言うことは松岡正剛の読書のヒストリーが集められているということである。もう、何度か足を運んでいるのだが、最初に入ったときは、自分もこんなライブラリーがもてたら、と一瞬おもった。ただ、こんなに広い分野を網羅する必要はなく、ある特定の分野だけでもよい、自分の家に作りたいと思わせる図書館である。自宅に書斎を作りたいと思う人はぜひ見ておくべきばしょである。
ここに集められている本もすごいパワーを発揮しているがその本を収納している書棚がいろんなパターンで構成されていて、書棚そのものもひとつの陳列物という感じである。
昨日体験したのだが、この図書館の素晴らしいところは千夜千冊にでて来た本であれば、たとえその本が版元で在庫切れになっていても古本を探してきて提供してくれることである。
昨日はそんな一冊をこの図書館で発見し買うことが出来た。
とにかく一時間くらいはあっというまにつかってしまう、吸い込まれるような魅力のある空間である。

愛犬ロンの死ー0.6秒の悲劇

2010年2月15日

近くの農道で愛犬のロンが車にはねられて死んだ。いつもわたりなれていた道をわたるとき、飼い主の知人でロンもよく知っている人の車だった。
農道に一台真新しいくるまがとまっている。
車の前に立った男は呆然と目の前に横たわっている犬を見ている。
ロンは車にはねられた瞬間、あれ、こんなはずではなかったのに、、とつぶやいた。
どんどん意識が薄れていく。
いつもわたりなれた農道である。
確か、数秒前、ロンは車が来るのを見た。
よく知っている飼い主の友人の車である。
運転している人もその人だった。
その人は犬好きで飼い主の家に行く度に、‘ロン‘と声をかけてくれて頭と首をなでてくれる。
農道でみかけたのも始めてではない。
いつも、この道で出会うとそばまで来て車をとめてロンをなでて‘ご主人は家にいるかな?‘ときいてくれる。
だから、今日もいつものようにそばまで来て止まってくれると思った。
その人はロンを見つけて明らかに車の速度が落ちていたからブレーキを踏んで止まるつもりだったはず。
ところがなぜ、はねとばされたんだ?それも昨日飼い主のところに見せに来てくれた新車のエコカーだったのに。。。
ロンの意識は消えて、鼓動も止まった。
そばに立って途方にくれた様子の男性は‘止まったはずなのに、、どうして?‘としゃがみこんでロンを抱き上げ、すぐ近くのロンの飼い主の家に向かって歩き始めた。
実はこの車、これまで乗っていた同じメーカーの車よりもブレーキをかけてから止まるまでの時間が0.6秒長くかかることを、その日の夕方のテレビは伝えていた。0.6秒,それは時速40キロで走っていて10メートル足らずの距離ではあったが、、、、、その距離がロンの期待を裏切った。

数、力、そして金

2010年2月15日

あいかわらず、小沢、鳩山のお金の話題でマスコミは持ちきりだがオリンピックで少しは変わるか?
今年は確定申告で鳩山流、小沢流の工夫をする人が激増するのでは?
もっともそれほど金持ちはたくさんいないかもしれないが、、、
数、力、金
これははるか昔、小沢一郎が師と仰ぐ田中角栄のことばである。
田中角栄いわく、
政治は数、数は力、力は金
つまり、政治の目的は金である、ということを正直に言っているのである。
その第一である数を取るには金が要る、というわけである。
金によって数をあつめ、数が集まると政権と言う力を手に入れ、力が得られたらそれを金に変えるのが政治、というわけである。判り易すぎないか。
ところで、数、力、金というつながりをみて、なにか、最近の風潮でピンとくるものはないか?そう、インターネットの世界の‘タダ乗り‘論である。
タダにすれば数が集まる。ビュー数という数があつまればそれがパワーになりそこにただ数だけを頼りにして広告を入れる広告主がいて、結果はタダで集めたところに金が入る、と言う話である。比較的格調の高い某経済週刊誌でも取り上げざるを得ないくらい最近の話題のようだ。まさに数年前に熱く盛り上がったセカンドライフを思い出させる。
ほとんどの人は、セカンドライフってなんだったけ?というかもしれないが、、、
インターネットの世界の面白い特徴は数の議論は得意だが質の議論はあまりされない。たぶんまだ質の議論をするほどこの世界が成熟してないからだろう。
ところが最近質の議論がちらほら、出始めている。数週間前に会った広告関係の人とネットの広告が話題になったとき、この人いわくネットの広告主もだんだん賢明になってきているよ。広告を出すメディアの量だけ出なく、信頼性ということも気にし始めている。いくら数が集まっているからといってタダのサイトに集まっている人たちは所詮ものにお金を払う意識の少ない人たちだから、こんなところに広告を出しても意味が薄いことに気がつき始めている、との発言。たしかに砂漠に水をまいたところで花が咲くわけでなし、なるほど、なるほどと聞いてしまった。
どうも今年はこれまでタダだったものがお金を取るようになるスタートの年ではないだろうか?
インターネットに限らずメディアとそこから提供される情報の信頼性、ある種の質、について情報の有料化とともに議論となりはじめるだろう。
情報にお金を払うと言うことはその信頼性と希少性に対してはらうことであり、よく言われるデジタル化されたものは限界コストはゼロだからタダでいいのだ、という議論で無視されている初期投資コストを負担することにより情報の再生産を可能とすることである。
言ってみればインターネットの世界も焼畑農業の世界から次の段階に進化しようとしているところである。
さて、政治の世界に戻ったとき、数を集めるための金を寄付した奇特な人たちは政治プロセスの再生産の結果としてやはり寄付した以上のお金が戻って行ったのだろうか?

一日を二日に

2010年2月 8日

私の最近の休日のライフスタイル。
計画的ではなく、自然発生的に一日を二日に分割して生活している。先週、気がついたことがある。このところ、週末の自分の生活の時間配分が以前と変わって来ている。
一日で二日生活をしているかんじなのである。
つまり、一日が12時間x2と言うサイクルになっている。
これって、ひょっとしたら週末人生を2倍たのしんでいるということか?こんな感じである。
23時とか24時に寝る。4時間後の3時から4時に起きる。
ほとんどの場合とても頭がすっきりしている。
さっそくなにかをはじめる。そうは言っても深夜だから音を出したり外に出かけたりするのではなく、机の前で出来ることをはじめる。
音を小さく音楽をかけながら、、、こんなときに便利なのはiTuneのDJ機能である。ほうっておいても次から次へ自分のライブラリーから音源を引き出し音を出してくれる。
明るくなって朝食を食べて午前中にジムに行く。
実は早朝にデスクワークをしているときは結構飲みながら読書あるいは書き物をしていることが多い。
こんなときの飲み物はクラッシュアイスにウイスキーとか度数の高い泡盛とかである。クラッシュアイスだと溶けるのが早いのでちょうどいい加減の水割りになる。
ちょっと遠くに出かけたい時は朝食をとらずに6時ごろ家を出て昼前後に帰ってくる。車なら片道100キロ程度のところを往復して昼過ぎに十分戻ってこれる。
12時前にジムから戻って軽く昼食を食べると眠気がするので抵抗せず昼ねをする。ちょっと長い昼ねで2時間半くらいである。ちょうど16時前くらいである。そこから24時まで後半の12時間の生活を始める。渋谷までショッピングにでかけることもあり、散髪にいくこともあり、カメラを持って夕暮れどきを写しにいくこともある。夜は早めに夕食をとると時には飲みにでたり、ライブを聴きにいったり、、、パターンは固定しているわけではないが一日の休日を二日、楽しんでいる。
これってよく考えてみたら地中海沿岸の人たちの生活パターンでは?
彼らは終日でも昼に家にもどってシェスタをとって4時ごろまた、会社に出てきていた。
職住接近なら、毎日が二日、と言う生活ができる!

2月1日発売の週刊東洋経済

2010年2月 2日

2月1日発売の週刊東洋経済は力作である。特集が2020の世界と日本についての予測である。特に中国についての評価とアメリカについての評価がおもしろい。
これはアメリカの学者などの意見が多いからだと思うが、、、今週の週刊東洋経済の特殊、2020の世界と日本は57ページにわたる今後10年の予測である。
世界といっても主眼はアメリカ、中国そして日本であるからヨーロッパあるいはイスラム社会についてはほとんど触れられていないが、それを割り引いても週刊誌の特集としてはかなりの力作である。
いくつかのポイントを挙げると、アメリカは昨今言われているような先行き不安ではなく今後もパワーを持ち続けると言う意見が多く述べられている。もっとも、これはアメリカの人が言っていることだから当然かもしれない。しかし、今後もパワーが続くと言っているロジックを知ることに意味がある。それと並行して中国に関してはかなりペシミスティックに見ている。
やはり政府の統率力についての将来への不安がその基調にあるのと、沿岸部と内陸部の格差が今後国内的なひずみを生み出すことを危険要素としてしてきしている。
日本に関しては日本のコンテンツはそれほど強いのか?という疑問を投げかけている。この点は自分自身かねてから疑問があったのでなるほどなるほどとうなずいてしまったところである。
もっとも参考になったのは特集の最初に提示されているG20ヶ国にかんするいろんなランキングである。面積とか人口だけでなく6項目についてランキングを載せている。それを見ていて、このような比較だけでよいのか、と思った項目が二つある。ひとつは軍事支出である。これを素直に見てしまうとこれが軍備力のランクに見えてしまう。日本は5位で、その上位はアメリカ、中国、イギリス、フランスである。アメリカの軍備支出はほかのくによりも一桁大きい。そこで疑問をもったのは日本の軍備費を考えたとき、在日米軍にたいして支出している部分がふくまれているのだろうか?ということである。
さらに、日本の軍事力をみたときに在日米軍の軍事力はどう考えたらよいのかということである。二位の中国と日本の軍備費の差は約2兆円である。
ひょっとして在日米軍の軍事力を自衛隊の軍事力に加えたら中国の軍事力と同じくらいのレベルでは?と考えてしまった。
地政学的な視点からみるとこのような比較分析もひつようなのではないか?もうひとつはGDPである。国内生産高であるが製品の素材の原産国が多岐にわたるこの時代にGDPははたして国力をあらわしているのだろうか?もし、国力を見ようとするならば現在ではその国が生み出す付加価値ではないだろうか。ただ、その付加価値はどのような方法で評価したらよいのか判っていないのが残念だが、、、、
とにかく今週号はおもしろい。お勧めの一冊である。ヨーロッパの識者の意見が載っていないことを割り引いても、、、、

腱鞘炎X老化現象

2010年1月29日

年をとると、老化現象という要素がいろんなことを更に強化あるいは劣化させてしまう。
そんな身近な体験が腱鞘炎。
ブログを書くのを半月も休んでしまった。言い訳がましいが、昨年の12月はじめごろからおきていた右手の腱鞘炎のためである。
首の凝りが激しくなり、肩が痛み、右腕がしびれ始めたのが12月10日ごろ。
そのころテレビをみていたらパソコンを使いすぎると眼精疲労から首、肩の痛みに広がることを指摘しそのための薬のコマーシャルがあった。
これだ!と思いドラッグストアの前まで会に行ってちょっと考えた。これは対処療法ではないか?本来は眼精疲労を少なくするべきではないか?
ちょうどそのころわたしの友人のT教授が家のパソコンのモニターを変えたら飛躍的に快適になった、と書いていた。M電器の23インチのモニターに変えたそうである。その価格は3万
円たらず。実はこのモニターの話を見つける前は眼精疲労軽減のためにパソコン専用のめがねを作ろう、と考えていた。しかし、めがねよりもこのモニターのほうが安いではないか。そんなわけで12月の下旬にモニターを23インチに変えた。目はとても楽になり、それまであった目の奥がジーンと痛む状況は改善された。しかし、右手が痛み、しびれるのは変わらない。
そのころ、またT教授が、キーボードを買ってノートパソコンにつなげていることを知った。
このT教授、その買い物はほとんどがくだらないものなのだが時々とても役に立つものを見つけてくる。今回は念のためキーボードのメーカーとモデルを問い合わせて確認。さっそく発注したがこのスピードの世の中、届くのには最低3週間はかかるという。
ようやく、今週の初めに届き、ノートパソコンに接続。いまや、家ではノートパソコンに23インチモニターとトラックポイントのついたキーボードと言う構成。
キーボードの効果はあらたかで、そのおかげでこのようにブログを打てるところまでになった。
ただし、実はモニターを変えても腕の痺れが時々発生するので、ひょっとしたら軽い脳梗塞をおこしてはいないか、と心配になった。
周りを見ているとそんなことが起きても不思議の無い年齢である。そこで正月明けに難しい状況になったときに相談に行く六本木の名医のところにでかけた。この先生は疲れがどうにもならないくらい酷いときに飛び込む私にとっての駆け込み寺である。
私の話を聞いた先生、すぐさま、‘首のレントゲンをとりましょう‘という。すぐにレントゲン撮影をされ、それがすぐに出来上がって再度先生の診察。
これにいたる時間が30分かかっていない。このスピード感がこの先生のきもちのよいところである。
先生は写真をみつやいなや、‘ひろせさん、これは頚骨の変形です‘といわれる。頚骨の変形と聞いてかなりどっきり。‘どういうことですか‘と聞くと老化現象のひとつですよ。もう当然起きてもよいお年ですからね。スポーツ選手は体を酷使するから腰とか膝が20台でこうなることもあるのですよ‘となぐさめられたが、こちらは老齢宣告をされたようなものである。
頚骨の変形と腱鞘炎とがダブって痛みとか痺れが首から右の手の先まで出ていることが判った。年齢と言うドラが状況を増幅しているわけである。いま、定期的に先生お勧めの鍼に通い、ビタミンB12とビタミンEを服用。パソコン環境は前述のように大幅改善。
そんなわけでやっとブログ復帰である。ゆうべ、銀座のアップルストアで27インチモニターのついたiMacをみた。その圧倒的なモニタースクリーンとコンパクトなフットプリントを見て、次はこれにしよう!とおもったが、、、、
しかし、その前に使ってみたいものがある。iPadである。NewtonのユーザーでThinkpad110で格闘したものとしては絶対使ってみたい。

眼精疲労、肩こり&パソコンめがねOR23インチモニター

2010年1月13日

一ヶ月ほど前から肩、背中、腕の痛みになやまされている。
ひとつの原因は眼精疲労らしい。その対策は、、、、
わたしはもともと肩こりのひどいたちで、記憶では小学校6年のときに
肩こりで祖母とお互い肩のもみっこをしていた覚えがある。
それがさいきんますますひどくなり、肩から背中、さらには腕にまでいたみがひろがってきた。
そんな時、テレビの薬のコマーシャルで眼精疲労からの肩こりの薬の宣伝をしていた。
どうも自分のこの状態もパソコンの見すぎからくる眼精疲労が原因ではないかと考え、まずはその宣伝されている薬を買いに薬局まで出かけたが、その値段が馬鹿にならず、薬を飲むのは根本的な解決にあらず、と勝手に考えそのまま家にユーターン。
そこで考えたのはパソコン用のめがねをつくること。これもたまたま新聞にめがねの広告があり、そこにパソコン専用めがねが出ていた。
よし、週末にこれを作りに行こう、とほとんどめがねを作ることに決めていた。
そんなとき、友人がどこかにパソコンのモニターを大きくしたら快適、ビデオのきれい、なんてことを書き込んでいるのを見て、、、、めがねかモニターか、、、、モニターのほうが根本的な解決策のようにおもいつつ、まずは量販店にモニターを見に行った。
なんと、23インチのすごくきれいなモニターが31,200円!この価格はめがねよりも安い!(次自分は乱視がはいっているので)というわけで、眼精疲労対策は薬の検討から専用めがねに進み、結局はモニターを大きくした。
それにしても23インチで31,200円はやすくなったものだ。いまやパソコンを叩くときにはもうめがねはいらなくなっている。

地図にコンパス

2010年1月11日

昨日、コンパスを購入。ちょっと精度のよい物が欲しかったので渋谷の東急ハンズに行き、製図用のコンパスを買った。2900円。
買った理由は地図の上で距離を比較したり、ある地点からの到達範囲を知ったりしたいためである。すっかり地図にはまっている。
それではなぜ、距離の比較をしたくなったのか?普天間基地の移設問題である。
このところ結構話題の中心にある、在日米軍の現在普天間にあるヘリコプター基地の移転先の議論である。
一昨日のニュースを見ていたら、官房長官が沖縄に視察に行くという。2日間かけて視察するのだが、その中に新たに移設候補と名前の出てきた二箇所があるらしい。
そもそも、外務大臣がいて、防衛大臣がいて、、、それで、なぜまた官房長官が、、、ということも気になるが、それはさておきこの二箇所の視察地のひとつに下地という場所があった。
以前宮古島に行ったことがあるのでこの島の名前が頭にひっかかった。
そこで地図をさっそく広げてみたら、この下地が宮古島の近くの場所であると言う理解で間違っていなければ、その場所は沖縄本島からかなり南に位置し、沖縄本島と台湾との中間くらい
のところにある。
そこでどれくらい離れているかをほかと比較したいためにコンパスの調達となったわけである。コンパスの幅を沖縄の那覇と宮古島にセットして、その幅をほかの場所と比較してみる。
東京を起点としたときの東海道の上では彦根あたりまでの距離である。
韓国のソウルを起点としたらちょうどプサンまでの距離と等しい。
上海を基点としたら南京までの距離とほぼ同じである。軍事のことはまったく疎い。
しかし、将棋を考えるとどこに駒を置くか、と言う場合に自分だけの都合では決まらない。相手の布陣を考えその先も見通し駒をおくのではないか?そんな風に考えると沖縄本島から南に300数十キロ離れている場所がどうこう、というのではなく、移転先はおのずから描いている作戦、戦略の観点からも絞られてくるのではないのだろうか?そんな視点の議論はまったくメディアには出てこないが地図を見ていたらそんなことを思ってしまった。
地図は面白い。見る前にはまったく考えもしなかったことに気づかしてくれる。

世界地図ーその2

2010年1月 9日

そもそも、世界地図を買ったのは日米、日中という対比が地図上ではどうなっているか、と言う興味からだった。ところが、、、、地図帳をまず広げてみる。
最初のページにはメルカトール方式の世界地図がある。実は地図の表現の仕方はそれぞれの国によってちがうらしい。自分の国を地図の真ん中にもってくるらしい。
たしかにこの地図でも日本が地図の真ん中にある。その右側はほとんどが太平洋である。
そこで気がついたこと。太平洋をなくしてしまえば日本はハワイにくっついているし、アラスカ、カナダの西海岸アメリカの西海岸、メキシコ、ペルーにつながっている!
つまり、太平洋の上には障害物がないとかんがえたら日本はこれらの地域と密着している。
そういえば、日本の移民が出かけて行き定着しているのはハワイ、メキシコ、ペルーではないか!地図を買うまでは実は私のきもちのなかでは南アメリカは遠くの存在だった。
しかし、こうやって見てみると南アメリカはとても近い存在と感じる。
過去に日本からこれらの地域に移民し定着したのはこの感覚と無縁なのだろうか?
ちなみに距離的には近い中国に日本移民が定着した、と言う話はあっただろうか?
太平洋をかこむ社会の共通性がなにかあるのではないだろうか?
ぜひ、地域を太平洋を中心にしてみてみたらどうなるか、、、、

真新しい手帳

2010年1月 6日

手帳は新年を表す。
10月ごろになるとあちこちで手帳を売り出す。昨年の売れ筋はクオヴァディスと言うメーカーの製品だったとか、でも、、、、、
今年の仕事始めは1月5日だった。新年早々、‘にやり‘とする風景を地下鉄の中で見かけた。
それも、行きも帰りも、、二回も、である。朝は普段より少々早めにでたのでちょっとラッシュをすぎたころ。
始発に乗ったので席に座って向かい側をみると中年男性ビジネスマンがふたり、手帳をとりだして一生懸命なにか書き込みをしている。お二人ともけっこうおしゃれな手帳である。
特に一人は特徴的で、明るい茶色の、スエードっぽい表紙の手帳にワインカラーのローラーペン(みたところモンブラン?)で書き込んでいる。もうお一人は黒い皮表紙の手帳である。
地下鉄の中なので写真を撮れなかったのが残念である。この写真はぜひ撮っておきたかったのだが、、、、わたしも手帳は大好きである。しかし、昨年は買わなかった。一昨年も買わなかった。理由は簡単である。もう何十年もの間、手帳を買っては一月もたたないうちに使わなくなる。せいぜい昔は電話帳としてつかうくらいであったが、最近はそれも携帯電話になってしまったから手帳はますます遠くなってしまった。
使わないとわかっていても、2,3年に一度は買ってしまう。なぜ、使わない、放り出すと判っているものをいい大人になっても買ってしまうのか自分でもよくわからない。買うときに‘来年は必ずつかうぞ‘と決心して買っているわけでもない。たぶん、また放り出すだろうな、とおもいながら買っている。ほんとにアホである。
地下鉄の向かいに座っている中年男性二人をみてこんなことを考えながらひょっとしてこのお二人もわたしと同じ三日坊主ではないのだろうか?とおもっていた。薄茶色のスエード風の手帳にワインカラーのペンで書き込んでいる人は絶対三日坊主である。なぜって、手帳の機能よりも手帳を持っている自分のスタイルに満足を感じているようにおもうから。もう2週間もすれば机の上に放り出してしまっているだろう。