日本のエネルギージレンマ

2012年7月 2日

アメリカの雑誌、フォーリンアフェアーズの4月号のひとつの記事のタイトルである。
フォーリンアフェアーズと言うのは外交と国債問題専門の月刊誌で、アメリカから出版されているから当然それが代表しているのはアメリカの外交政策とアメリカが関心を持っている国債問題である。
このところの特徴は政治問題というよりも社会問題を外交課題、国債問題として取り上げていることである。
特別な分野の月刊誌でありながら全世界で15万5000人の読者がいる。
今回見つけた記事は日本の再生可能エネルギーへのシフトを阻む文化的要因についてかかれたものである。
全文は紹介できないのでその中のいくつかの興味ある記述を紹介する。
著者はチャールス ファーガソン、全米科学者連盟会長
日本のエネルギー ジレンマ
  再生可能エネルギーへのシフトを阻む文化的要因
日本はこれまで最先端の原子力技術の開発を試み、この地域のリーダーになることを目指していた。だがフクシマを経た今、原発施設の再稼動に向けて社会の支持を得られるかどうか、先の見えない状況に追い込まれている。
現在日本は原発停止による電力生産の低下を火力発電で埋め合わせようとより多くの液化天然ガスを輸入しているが、LNGの価格はかっての3倍のレベルへと上昇している。しかも日本の現実を考えると電力生産の多くを再生可能エネルギーに置き換えていけるとも思えない。日本は風力、ソーラー、地熱など再生可能エネルギーの促進を阻む構造的な障害を持っているからだ。電力会社も関係省庁も‘大規模な電力生産施設‘を好む文化的体質をもっており、風力やソーラーなどの基本的に‘分散型‘の技術導入には難色を示す傾向がある。この文化を政治的な意思とリーダーシップで変化させていくにはかなりの時間がかかるだろう。
中略
何が再生可能エネルギーへのシフトを阻んでいるのか。環太平洋火山帯の一部である日本の人々は地熱エネルギーを温泉として広く利用している。つまり、余暇目的で地熱エネルギーを大いに利用しているがこれを電力生産に利用すると言う発想はあまりないようだ。
また、国土が狭いために風力やソーラーを電力生産に結びつけるのにも限界がある、と決めつけている。
だが,緯度からみても日本とほぼ同じ条件にある(日本のほうがずっと南にある、筆者コメント)ドイツは風力やソーラーに多く投資し、再生可能エネルギーによる大規模な電力生産を試みている。
ドイツにできることなら日本もできるはずだ。問題は日本の電力生産制度が再生可能エネルギーへのシフトを阻む制度的、文化的障害を持っていることだ。日本における電力生産体制は10の地域的な独占企業体で構成されている。これらの電力企業は地方政府と中央政府の双方
に大きな影響力を持っており、政府内にも風力やソーラーなどの分散型の技術導入を阻もうとする人が多くいる。
中略
今回の(フクシマ)の事故により、奥深い問題を表面化させられたと考える人もいる。
それは原子力産業の特有の文化と管理面の問題である。この文化と管理面の問題
を日本だけでなく他の諸国も是正していく必要がある。
原子力の安全性という面では、我々は重大な岐路にたたされている。

この記事で印象的なのは原子力発電の問題を文化という視点からも捉えていること
である。
昨今の日本での議論は技術と経済に終始し、それを政治が蛮勇を奮うと言う図式である。
原子力を扱う上での健全な文化が必要、と述べているこの記事を読んでいて思い出した
のはフクシマのあと、ドイツのメルケル首相が‘これは倫理の問題だ‘といって、あの原子力発電推進者が一転して原子力発電廃止に向かったことである。
議論が技術と経済に終始している限り、原子力の問題は解けないのだろう。
誰が‘倫理の問題だ‘と言い切れる人なのか、その人が多分日本でもこの問題の解決者
ではないかと思う。

コクトーの食卓

2012年7月 2日

先日、例の古本屋で、よだれの出るような本を手に入れた。
その題名は‘コクトーの食卓‘と言う、料理の本である。


この本はフランスの有名なシェフのレイモン オリヴィエが友人の詩人のジャン コクトーの好きな料理のレシピを書いた本で、そのレシピのよこには画家としても有名なジャン コクトーがレシピにあわせた挿絵を描いている本である。
ほとんどのレシピは2ページから3ページにわたるものだがそのなかで1ページちょっとの短いレシピがあったので紹介する。
目玉焼きのレシピである。

目玉焼き
私の目玉焼きの作り方はこうである。
パリ磁器で出している美しい模様の付いた皿か、純白の皿にバターを少々落とし、皿を火にかける。バターが溶けたら、必要ならさらにバターを少々加えて、皿の底が溶けたバターでまんべんなく覆われるようにする。そこで火から下ろす。
バターはほどよく薄く皿全体に広がるくらい、皿は熱しすぎないように気をつけること。バターが溶けて非常に熱くなり、しかもまだノアゼットにならない程度である。軽くじゅうじゅうというくらいに熱し、明るい褐色に色づかせたバターは実際にハシバミ色をしているところからブール・ノアゼットと呼ばれている。
さてそこで皿の底に適当に塩をふる。ひとこと言い添えておけば、塩をふるのは卵のためであってバターのためではない。
相変わらず火から下ろしたまま、皿に適当な数の卵をひとつづつ割り、必要ならフォークの先で白身のかたちを整える。
実際、非常に新鮮な卵は白身がたいへん稠密でなかなか均一に焼き上げにくいものである。もう一度火にかけ、はじめは弱火で、終わりに近づくにつれて火を強めていく。黄身の一つ一つにほんの少し胡椒(ブラックペッパー)して供する。
以上、ジャン コクトーのためにレイモン オリヴィエが作った目玉焼きのレシピである。単なる目玉焼きがこんなに立派なレシピになるとは驚きである。
念のためだが、まだこのレシピで目玉焼きを作ったことはない。

ちょっと驚き、シャーロックホームズ

2012年6月26日

最近、シャーロックホームズを読み始めた。
緋色の研究から始まって、今は二冊目の四つの書名を読み終えたところである。
この四つの書名を読み始めてまず驚いたことがある。
こんな書き出しで始まる。
シャーロックホームズはマントルピースの隅から例の瓶をとりおろしモロッコ皮のきゃしゃなケースから皮下注射器を取り出した。
そして、神経質な白くてながい指先で細い注射針をととのえて、左手のワイシャツの袖を捲り上げ、一面に無数注射張りのあとのあるたくましい前腕から手首のあたりをじっと見ていたが、、、やがて鋭い針をぐっと打ち込み小さなピストンを押し下げて、ほうっと満足そうにため息をもらしながら、ビロード張りの肘掛け椅子にふかくよりかかった。
この数ヶ月というもの、私は日に三度づつこの注射を見てきたがいくら見慣れてもきもちのよいものではない。
(中略)
きょうはどっちだい?モルヒネかい、それともコカインかい?
コカインさ。(引用終わり)
そして、さらにはkの四つの書名の最後の二行にあるシャーロックホームズの言葉は次の通りであう。
僕か、僕にはコカインがあるさ。
と言ってその瓶を取るべく、シャーロックホームズはほっそりした白い手を伸ばした。
(終わり)
これはどう読んでも、シャーロックホームズは麻薬中毒者ではないのだろうか?
物語は英国のビクトリア女王の時代である。
シャーロックホームズは一説にはオックスフォード大学出身のインテリである。
この時代の英国のインテリのあいだでは、推理小説に普通に登場するように、
モルヒネとかコカインは受け入れられていたのであろうか?
これまでのシャーロックホームズのイメージに麻薬常習者は無かっただけに、ちょっとした驚きだった。

2012年6月15日

2012年6月25日

2012年6月15日は記憶しておいたほうが良い日だろう。
何年か後に日本史の教科書化、社会の教科書に載るかもしれない。
ひょっとしたら海外の歴史の本、科学の本に載る日かもしれない。
ほんの10日前のことだから今の時点では記憶に新しい。
この日なぜ記憶しておくべきではないか、と考えるのは三つのことが
同時に起こったからである。
1.大飯原発の再稼動の政府決定
2.消費税増税の三党合意
3.高橋克也の逮捕
こんな大きなことが三つも同じ日に起きなくても良いではないか、と考えるのは自分だけでは無いだろうか?
偶然同時に起きたとは思わず、何らか意図的にこの日にあわせた、と思うのはこの数年間メディアに近いところにいたからであろうか?
大飯原発の再稼動の決定も消費税増税の三党合意も十分この日にあわせることができる。
高橋克也の逮捕がこの日だったのは偶然だろうか、あるいは必然だろうか?
逮捕されてからあれだけのセキュリティカメラのビデオが出てきているところをみると15日まで泳がせていた、と思うのは思いすぎだろうか?
それではなぜこの三つのことを6月15日に同時に発生させたのか?
あきらかに世間に与えるインパクトを小さくするためである。
たとえば新聞の一面記事を考えてみるとよい。
3の高橋克也の逮捕が無ければ全ての新聞の一面記事は大飯原発の再稼動かあるいは消費税の三党合意だろう。ひょっとしたら一面にこの二つの記事が併記されるかもしれない。
ところが高橋克也の逮捕があったので、新聞の一面はこの逮捕になったし、テレビの放映時間のメインはやはり逮捕であり、原発再稼動と消費税増税は大幅に露出を減らすことができた。
つまり、世の中の注意を本来の三分の一以下にしてすり抜けた結果になっている。
偶然とはいえ、結果的には極めつきの広報戦略の成果が発揮されたことになる。