疑わしきは罰せず、&物的証拠

2012年5月11日

小沢一郎はけっして好きなタイプの人ではない。
しかし、その裁判には少々疑問を感じるところがある。
それは、‘十分疑わしいから‘ということで裁判を繰り返されて
いるが、まずは、‘疑わしきは罰せず‘という法の精神との関係
において疑問が残る。
もうひとつは、物的証拠が無い。状況証拠だけである。
裁判の対象となる案件に関して、物的証拠の有る無しは判断
の基本中の基本ではないのだろうか?
十分疑わしいから罰するべきだ、といい、物的証拠の有無はともかく
状況証拠は十分有る、といってしまっては司法の基本が狂って
しまう心配はないのだろうか?

5月15日は休講です。宿題を出します。

2012年5月10日

表現工学科のコンテンツ、クリエイティビティ、、、の受講生のみなさんへ
今週の授業のときにお知らせしたとおり、来週火曜日、5月15日の授業は休講とします。
ついては、授業のかわりに下記のクイズについての皆さんの考えをB5のの解答用紙にまとめて、5月22日の授業のさいに提出してください。
なお、これを見た人はクラスのほかの学生にもクイズを確認するように伝えてください。
クイズ
1.活版印刷が発明され、今までは修道院など限られたところにしかなかった文献、聖書など が印刷され広く読まれるようになりました。その結果それまでの修道院の僧侶などに独占されていた知識の壁は破壊され知識が多くの人にひろまるようになりました。さて、活版印刷をインタネットに当てはめてみて考えたとき、どんな独占が破壊されたのでしょうか? 事例をあげてください。
2.活版印刷の出現によってこれまで手で書き写されていた本が印刷され大量に作られる様になりました。それは文字を活字という形にしたことがきっかけになっています。それでは通信がインタネットに展開したきっかけとなったものはなんですか?
3.活版印刷が出現するまでは手書きで写された大型の本を誰かが読み上げ、それを周りに集まった人が聞く、という形が読書でした。それが印刷され小型になったことによって多くの人が本とその中に書かれている知識を所有できるようになりました。さて、インタネットの登場によって起こった類似の変化の例をあげてください。
4.映画、ドラマのネタは過去の文学などの名作、あるいはアニメ、漫画、さらには過去の映画、ドラマのリメイクなど多くは必ずしもオリジナルではありません。数の上から見るとオリジナルは極めて少ないといえるでしょう。それでは、自分が映画あるいはテレビドラマのプロデューサーであるとしたらどんなネタを作品にしたいですか?そのネタを挙げ、それを取り上げる理由を述べてください。
以上、4問を休講の代わりのレポートのクイズとします。
よろしく、

コンプガチャ

2012年5月 9日

携帯ゲームのコンプガチャに規制が入った事でいろんな意見が出ている。
将来性があり発展している携帯ゲーム市場にとってマイナス、経済にマイナスという意見もすくなくない。しかし、携帯ゲームサービスの欧米進出、とくに米国への進出を考えたら極めてタイミングを得た適切な規制である。
理由は、海外の家庭の親は日本の親ほど子供に甘くなく、子供が使うお金は厳しく管理監督しているからである。
日本の親は子供の携帯電話料金の支払いが親によるものであるにもかかわらず、それが高額であっても同じような子供を抱える親がその支払いの額を嘆きあうだけでだれも携帯電話会社にたいして、届け出た電話番号にかんしての月間使用料金規制を求めようとしない。
しかし、アメリカのかなりの親は違う。もし、自分の子供が毎月携帯ゲームで月に20ドルもアイテムを購入していることがわかり、自分の子以外にもそのような子供を抱えた親がいるとわかったら親はすぐチームを組んで携帯ゲームサービス会社にクレームするとともに社会問題に発展させるだろう。
いったんそうなったらもはや日本から進出した携帯ゲーム会社は叩き潰されることはまず間違いない。これに政府が気がついたのかどうかはわからないが、携帯ゲーム会社の欧米進出のタイミングにあわせてコンプガチャの規制を行ったのは極めて時をえた行動である。

iTune とApplestore

2012年4月24日

アップルはiPodからはじまりiPhone,iPadと我々の眼に見えて手にとって見れる商品に注目があつまり、その製品の強みがアップルの強みだと評価されていることが多い。
ところが、実はアップルの製品、サービスで一番の戦略商品はiTuneである。既に2000年代の初めにiPodを発売したときにはiTuneが音源提供サービスを行うプラットフォームとして登場した。そして、楽曲のダウンロードを1$程度で買えるサービスを提供しはじめた。つまり、この段階でユーザーの顧客管理、楽曲というコンテンツの管理、そして少額課金の仕組みができていたのである。
このベースがハードウエアの発展とともに機能を拡大していったのが現在のiTuneだり、Applestoreである。これをサービスプラットフォームと呼ぶならば通信のキャリアを超えて、アップルという製品を使う限りそのプラットフォームに乗っているわけだ。このようなプラットフォームを持つことが戦略的に必要であることが認識されるにつれて同じようなプラットフォームが登場している。
ひとつはアマゾンのアプリストアであり、もうひとつはグーグルのプレイである。アプリストアもプレイもアンドロイドの世界に向けてのプラットフォームである。さて、ここで気になることがひとつある。それはFacebookはこのようなプラットフォームを提供するだろうか?そしてそれはいつごろか?
今後はどうもこのようなサービスプラットフォームの戦いになりそうな予感がする。

市場にお金がまわらない?

2012年4月24日

最近には珍しく、近くの居酒屋でまったり飲んでいたところ、偶然隣に座った人とおしゃべりをはじめた。
こんな機会が生まれるのが居酒屋のよさである。しかも、知らない人とのおしゃべりは一人か二人でぼんやり飲んでいるときにその機会がやってくる。
しばらく話していると、お隣は銀行関係の人だ、とわかった。そこで最近感じていた世の中のお金の流れの少なさに絡んで質問を投げてみた。‘ところで最近の貸し出しの状況はどんなかんじですか?‘‘まあまあですよ‘、無難な返事である。当たり前でその晩偶然隣に座り合わせた男からの質問である。そこで、‘まあまあって預金と貸し出しのバランスはどんな感じなんですか?‘お隣さんはちょっと酔いを邪魔されたような顔で、‘そうですね。70%くらいですよ‘
‘え?!それって、預金の70%しか貸し出しにまわっていないのですか?‘いまどき、そんなもんですよ。自分の若い頃は(20年くらい前か?)は110%というくらいでしたがね。‘‘それじゃ、残りの30%はどうしているんですか?‘‘金融商品への投資で運用しているんですよ‘、‘なるほど、、、でも、金融商品投資はリスクが大きいでしょう?元本割れなんてことが起きる危険があるでしょう?‘、‘いやあ、我々はプロですから、そんなことはありません。‘
会話はここで今つついている煮込みの話に変わった。
さて、焼酎と水を交替に飲みながら考えたのは、預金の70%しか貸し出しにまわっていない。残りの30%は金融商品の投資運用だということは、そのお金の行き先は安全だけを考えれば日本の国債、リターンを考えれば海外の金融商品だろう。これはある意味日本のお金の海外流出であり、政府が国債で集めたお金を経済活動の促進に使われなかったら、実に現在はその通りといわざるを得ないが、、極端な言い方だが、日本経済というマシンは出しうる出力の70%で動いていることになる。つまり、3割減といってもいい。
きっちりと論理的には説明ができないのだが、なんとなく不景気の一因もこのあたりにあるのではないだろうか?
しかし、1980年代の銀行を知っている者にとって貸し出し比率が70%と聞いたときは、飲んでいる手が止まってしまった。

海外の原発への動き

2012年4月11日

いよいよ大飯は再稼動か?
どう言いつくろおうと今の政府の動きは再稼動の方向にまっしぐら、と見えてよいのではなかろうか。
そう見ると、経済産業省と東電の値上げバトルも茶番劇で、値上げしないためには原発を稼動させるしかない、という一見大人の判断にもっていこうとしているのだろう。
さて、ちょっと国外の動きを見ると面白いことが目に留まる。そのひとつはアメリカの外交専門雑誌のフォーリンアフェアズの記事である。どうもこの雑誌はアメリカの外交戦略とその方向を表明している雑誌のようで、そこで取り上げられている論文のテーマを見ているとアメリカの外交政策の重点がわかるような気がする。最近取り上げられているもので気になるのは一般の外交に直接関係ある国際間の問題に関しての論文を除くと、食糧と農業、インタネットと相互依存関係、さらにこの半年間で2回登場しているエネルギーと原子力発電である。これだけを見ると、やはり国の主要政策は食料、エネルギーとインタネットであることが判り、どうもインタネットはメディアの側面、自由と統制の議論、さらには国防というような観点で論じられている。エネルギーに関して原子力発電にからんだ論文では、当然福島の経験を反映した内容である。いくつか特徴的なことを取り上げると、当面は仕方がないが放射性廃棄物問題を解決しない限り今後の進展は無い、といい、当面の対処をしたがゆえに代替エネルギー開発を怠ると10年後に大きな後悔をする、という論調である。もちろん、その論調の重点は代替エネルギー開発への取り組みが重要だ、というところである。
もうひとつの三月号に掲載された論文では、大胆にも‘石油も石炭も原子力も必要としない世界‘というタイトルでエネルギーに関してのインテグレーティブデザインという考え方を提案している。ポイントは自動車、建物、電力生産の効率を高めていくことにより電力消費量を押さえ込むと同時に電力生産を現在の集中生産型から分散された再生可能エネルギーを中心としたものに近代化していく、という提案である。これはひょっとしたら現時点では夢物語かもしれないが、そのような論文がフォーリンアフェアズに掲載されていることが面白い。そんなあほな、と頭から否定せず読んでみる価値が十分ある論文である。
さて、この二つの論文から見ると原子力発電は抑制する方向にあるし、外交戦略として原子力発電に依存しようとしているところに対しては外交圧力をかけようという意図が見えないわけでもない。この背景にはアメリカ国内自身のエネルギーミックスが最近注目されているシェールガス開発の進展によって変わりつつあることだろう。さらに、なるほどと思うのは電力生産の分散化と配電のネットワーク化である。これは万一被害が発生してもをれを局所化し、相互にバックアップの取れることが必要だ、という福島のことからの教訓から来ているのだろう。
海の向こうはもう次を見据えた議論に進んでいる。
もうひとつ面白い、と感じたのはドイツのメルケル首相の変身である。この人はかなり熱心な原子力発電推進派だったようだが福島をきっかけに反原発に態度を変えた。その理由は、原子力の問題は倫理の問題だ、というのである。これには、驚きもしたしなるほど、とも思った。
そもそも、原子力発電は科学技術と経済の議論であった。それが現実に福島の事故が起こると社会の問題に広がった。それをさらになぜか判らぬが政治の問題にしているのが我らの政府である。
ところが、ドイツではさらに何歩か進んで倫理の問題として取り扱われようとしている。倫理は我々の人間が生きていくうえでの極めて根幹的な部分である。その問題だ、としたのは議論は目先のプラグマティックなことをはるかに越えた問題となる。
そこで、実は急に‘倫理と倫理的問題とはなんだろう‘と勉強しようとしているところである。今後、この議論がヨーロッパの社会でどのように展開されるのか、注目してみる。
メルケルが倫理の問題だ、といったとき、原発推進国の首相であるサルコジがどんな顔、どんな反応をしたかはまだ知らないがこれも興味あるところである。