新聞がネットで配信されるとき

2010年3月16日

出版物のネット配信のアプローチにはいろいろありそうである。ひとつは比較的著作権などの話し合いがしやすい学術書を配信するアプローチもあるだろう。しかし、出版物といっても書籍ではなく新聞が配信されるとどうなるのだろう?
メディアを比較してみるとき、そのメディアの持つ時間のサイクルで見るというのも見方のひとつである。たとえば書籍は不定期でそのサイクルは長い。作家をブランドとして見ると一人の作家が書籍をリリースするサイクルは幾ら短くても一ヶ月以上かかるだろうし、寡作な作家の場合は数年に一冊のペースだろう。
年鑑という出版物もある。このサイクルは一年でる。季刊というカテゴリーは四半期ごとである。月刊は毎月、週刊は毎週でこのあたりは雑誌というカテゴリーになる。更に短くなると日刊でありこれが新聞のカテゴリーである。
これよりも短くなると電波メディアになり、ラジオ、テレビと言うメディアが時間を単位にして番組を流している。これらはすべて発信側がその時間の軸を決めている。
ところがインターネットは言って見れば瞬間メディアである。それと同時に蓄積もできることから書籍的性格も持っている。
面白いことはインターネット上ではこれまでのメディアのもっていた時間軸をすべて再現できることである。さて、そこで新聞を見てみよう。
新聞は毎日発行されているわけだが、そこには独特の定期購読という仕組みがあって毎朝あるいは毎夕家にまで配達されるのが基本になっている。
したがって、読者はいったん購読契約をするとその契約に従って毎日同じ新聞を読んでいる。たまに駅のキオスクでほかの新聞を見ることもあるだろうが基本はすべて同じ新聞を毎日見ている。新聞の購読契約は新聞販売店の販売員によって個別に家を訪問し購読契約を獲得して発行部数を構成している。アウトバウンドセールスである。したがってある新聞がどれだけの部数が売れるか、というのは販売店の組織の大きさに大きく依存している。販売店網が大きな新聞社の新聞はたくさん売れ、小さな新聞社はそれなりの部数しか売れない。
ところが、これがネットの配信となったとたん、これまでのアウトバウンドセールスであった新聞と言う商品はインバウンドセールスに変わる。
しかもリアル店舗を使うインバウンドセールスではその商品を扱っている店舗の数がインバウンドセールスの売り上げに関係するがネットの場合は販売店はひとつであるから、ネット上で販売店を幾ら増やしても同じ商品で同じ価格であれば販売店の数の意味はなく、実質的に販売店は一箇所となる。つまり、新聞がネット販売化されるともはや新聞の売り上げ部数は販売店網の大きさに依存しなくなってしまう。
それでは購読数は何できまるのか?購読者の最大公約数が持っている関心事に対して的確な情報を提供する新聞が最大の購読者を獲得する、といえるのではなかろうか?さらに、これまでは新聞社が販売店に新聞を配送するというプッシュ型のビジネスであった。ところがネットで配信するとなるとプッシュ型からプル型にビジネスの形が変わる。つまり、これまではセールス主体のビジネスであったものがマーケティング主体のビジネスに変わる。
それに従い、インセンティブも従来の洗濯石鹸とか自転車と言う拡販材料から潜在購読者を引き寄せるための何かに変化する。
どうも新聞の電子配信は単に紙でなくなるだけでなく、ビジネスのモデルも大きく変わるし、新聞社が販売店を通じて提供する、と言う形から購読者が読み比べて選択する、と言う形に変わる。
その結果はどうなるかわからないが、強力な販売店網を駆使して大部数を獲得していたところが部数を減らし、今までは販売網が弱かったために部数を獲得できなかったところがその内容の個性によって大きく電子部数を伸ばす可能性を秘めている。そんな変化がすぐ目の前に来ているのでは?

新しいコク、ご贔屓に、

2010年3月15日

今日、仕事の帰りに地下鉄のなかでなんとなく広告をみていたら、
‘新しいコク、ご贔屓に、‘というコピーが目に入ってきた。この、‘新しいコク、ご贔屓に‘と言うコピーは新しいビールの広告のコピーである。
なんと言うことの無い広告であるがどうも‘ご贔屓に、‘というところが気になり目がそこで止まった。そこで、はっときがついた。
人生で初めて‘ご贔屓‘つまり贔屓にしてくれる客とはどんな客なのかわかった!‘贔屓‘という字がそれを表している。漢字とは実に偉大な文字である。
贔屓の字の構成をみると、二つの文字に貝の字が四つ、貝だらけといってもよいくらいである。貝はお金を表す。
贔屓とはすなわちお金をたくさん払ってくれる客、たくさん使ってくれる客なのだ。いつもご贔屓にしていただいてどうもありがとうございます‘といわれ、贔屓の客と扱われている人がいるとしたら、何のことは無い、いつもたくさんお金を使っていただいてありがとう、金遣いのよいお客様、と言う意味なのである。この年になっても、まだまだ新発見がある。

古本と電子図書流通

2010年3月15日

今年まちがいなく大きな話題になるのは本格的な電子出版物流通だろう。キンドルは出ているし、すでにネットでは日本語対応ソフトまで流通している。
アメリカからネットでキンドル端末を購入し、それに日本語ソフトを導入して青空文庫を楽しんでいる人もでてきている。出版物のデジタル配信は新聞の配信のほかすこしづつではあるが広がっている。今年はキンドルが発売され、そのキンドルを使った新しいビジネスモデル、つまり通信料金をコンテンツ料金とバンドルしたアマゾンのサービスが動き始めている。
うわさでは、日本でのサービス開始は今年の10月ごろとか、、、既に友人の何人かはアメリカからネットでキンドルを買い、それにネットで手に入る日本語対応ソフトを導入し、既にサービスされている青空文庫からデジタル書籍をダウンロードして使い始めている。今年の後半にはiPadも登場してくる。キンドルは500ドル以下の価格帯、iPadは500ドルから上の価格帯でおもしろいすみわけになっている。
このアマゾンのサービスがきっかけでデジタル情報の有料配信サービスが始まるだろう。この最大のよい点は有料で配信するがゆえに原著作者に著作権料が支払われることである。
コンテンツを作り出す立場としては継続して作り出す、つまり再生産が可能なだけの収入は最低限必要である。デジタル配信のコンテンツからそのための著作権料が支払われることがはっきりすると、このところ議論が続いていたコンテンツのネット配信における著作権料に関する議論の一部も解決される。さて、そこでひとつ考えたことがある。
自分が電子図書配信をビジネスとして始めるとする。そのとき、その原料である電子図書あるいは出版物が必要である。まともに考えればその出版物の出版社と話し合ってそことデジタル配信に関する契約を取り交わし出版物の提供を受けてデジタル販売し、その売り上げから出版社に著作権料も含めた料金を支払うことになるだろう。ところが古本の世界を見てみよう。
古本屋は既に出版社から販売された出版物を中古品として買取、それを販売している。先にあげたブックオフの一冊105円の本がよい例である。そこで、自分としては出版社から出版物の提供を受けるのではなく、ブックオフから本を買ってくる。それをスキャンしてデジタル化し中古図書デジタル配信サービスなるビジネスをはじめるとする。
そのときの仕入れ価格は105円、スキャンしてデジタル配信対応に加工するのは自社のサービスのためのコストである。こんなことを考えると幾つか面白い疑問がわいてくる。そもそも古本についての著作権はどうなっているのか?
著作権は存在していてもいったん古本となって販売されるときは著作権料を支払われていないようだが、なぜ著作物を販売しても著作権料を払わなくてもよいのか?昨日ブックオフで105円で買ったジョージソロスの‘グローバル資本主義の危機‘という素晴らしい本は今日昼休みに丸善に行ったら1800円で売っていた。私の105円で買った同じタイトルの本もその小口を見る限りまったく読まれた形跡は無い。
本という著作物はその販売物体について一度だけ著作権料を支払えばよいのか?さて、今度はデジタル配信に関してである。105円で買った古本は既に著作権を支払う対象ではなくなっている。したがってそれを原材料とした古本デジタル配信では著作権料を払わなくてもよいのではないか?
あるいは払うとしても仕入原価である105円に対していくらか払えばよいのではないか?
もうひとつの疑問である。出版物の多くは再販制度が適用されている。
音楽CDの世界においても再販制度が適用されているがそれがデジタル配信になった段階では再販制度は適用されない。
多分出版物のデジタル配信においても再販制度は適用されないだろう。
もし、著作物として紙に印刷された内容とデジタル化され配信される内容が知的生産物
として同じであるときにデジタル配信されるほうには再販制度が適用されず紙に印刷され
た本については再販制度が適用されるのであればその再販制度の適用は知的生産物に対しての再販制度の適用ではなくて紙に対する再販制度の適用なのだろうか?
近くにあるブックオフの一階はすべてコミックである。あそこで片っ端からコミックを買って帰りそれをスキャンしてiMacの巨大なディスクにホームアーカイブを作っておき、iPadが販売されたらすぐにコミックデジタル配信サービスビジネスをはじめるとする。ブックオフで正当な対価を支払って購入したものをベースに行い配信するのである。
そのとき、個人利用ではない、と言う理由で無料配信は禁じられるだろうが格安有料配信を行いその仕入れ価格からはじいた著作権料を支払うようにすれば、今の一切著作権料を支払っていない古本屋よりも良心的なサービスといえないだろうか?

六冊の本

2010年3月15日

昨日、近くのブックオフで本を6冊買った。

買った6冊の本はつぎのとおり。


丸谷才一著  男のポケット
 定価   780円
松本清張著  黒い福音
 定価   880円
ジョージソロス著  グローバル資本主義の危機
 定価  1800円
ダンブラウン著   ダヴィンチコードの真実
 定価  1600円
藤原新也著  幻世
 定価  1500円
村上春樹著 夢のサーフシティ
 定価  1700円
実は自宅からあるいて5分のところにブックオフがある。
これらの6冊はブックオフで買った。
6冊で630円だった。
1冊105円のコーナーがあるので休みの日はそこを丹念に眺めて何冊か買う。
昨日は収穫が多かった。
しかし、著作権ビジネスにかかわった経験のある者としては複雑な気持ちである。
6冊の本の中には少なくとも2冊はまったく読まれてはいないのではないか、と
思うほどきれいな本がある。それらの本がこの値段である。
しかも、630円と言う売り上げからにしても、印税は支払われていない。
ブックオフでは書き込みがあると買ってくれない。だから、売っている本は書き込み
のないきれいな状態の本である。
私はほとんどの本に書き込みをする。
本の余白は私にとってはノートのようなものである。
書き込みをすること、つまり手を動かし文字を書くことが読む理解を
かなりたすけてくれるように思う。
書き込みがあるから、私の持っている本はブックオフは買ってくれない。
だから、私が買った本はブックオフは買ってくれない。

高岡市とほたるいか

2010年3月 3日

ことしもほたるいかのシーズンになった。運良く、3月1日富山県の高岡に行った。
富山湾のほたるいかは3月1日が解禁だそうである。
ちょうどその日、IBMの旧友のT教授と高岡にある富山大学の芸術学部を訪問。この学部は国立大学のなかでもめずらしい芸術学部である。
会議は昼過ぎにおわり、列車の時間までゆとりがあったので高岡駅前のすし屋にみんなで立ち寄る。このすし屋、東京にもってくればなんとか次郎にもX谷にも匹敵するようなすし屋。なぜ人口17万人の高岡の駅前にあるのかわからないが、とにかくすばらしいすし屋である。
最後のころに当日解禁になたばかりのほたるいかの握りがでる。この時期のほたるいかはとてもあっさりしていて口当たりがやわらかい。これが5月の連休明けごろになるとすっかり濃厚なわたのあじが強くなる。とても口あたりがやわらかく普段東京で食べるほたるいかと感じがちがう。東京でたべるとどうしてもいかの目がくちのなかで触る。
聞いてみたら数センチもない大きさのほたるいかの目をピンセットで取って出しているのである。これぞ、職人の仕事、と感心。
これからは家でほたるいかを食べるときにもピンセットを用意しよう。満足して東京に戻った。

Swatchのお宝紹介

2010年3月 2日

銀座にSwatch の大きなお店ができた。
ニコラ ハイエク スタジオという時計スタジオ。
そこでこの機会にわたしのお宝Swatchを紹介しよう。

銀座の中央通りの7丁目あたり、新装になったヤマハのビルのすぐちかくにニコラ ハイエク スタジオができた。全館、スイスの時計の展示スタジオである。
ニコラ ハイエクはSwatch社のオーナー社長。いまスイスの主だった時計メーカーはこのニコラハイエクのもとに集結している。
そのニコラ ハイエクの傘下にある時計メーカーの製品を一堂に集めて展示しているのがこのスタジオである。
もちろん、とてつもなく高い時計も並んでいるがエレベーターで地下に降りれば地下の全フロアはありとあらゆるSwatchが展示されている。ひとつだけ、残念なのは現行のSwatchはすべてアナログであることである。わたしはいろんなSwatch を持っているがそのなかで特別よく使っているのは10年ほど前に発売されたBeatというデジタル時計であるがいまはもう無い。
3年ほどまえ原宿の店でまだストックがあると聞いて3個買い足しているので当分はたのしめるが、、、
今日、そんななかでお披露目したいのは10年以上前、1999年にスイスのSwatch社を訪問しニコラ ハイエクに会ったとき直接もらったビビアンウエストウッドのデザインによるSwatchである。写真の一枚はその時計の入っているケース。
まさにビビアンのロゴそのものである。もう一枚はそのケースに入っている時計。もちろん普通にはとても使えないがパーティーでは話題になること間違いなしの誰が見てもビビアンのデザインとわかるSwatchである。こんな時計をつくってしまうSwatch のあそび心が好きである。そういえば、Swatch社を訪問したとき、創立者の先代にもお会いしたがそのとき先代は両手に、それも二つづつ腕時計をはめているのを見て、さすが時計メーカーのオーナーとおもい笑えてしまったのを思い出す。

田中一光ポスター展

2010年2月28日

先週の2月25日まで銀座のgggで田中一光さんのポスター展があった。先週の25日まで、銀座のgggというギャラリーで田中一光先生のポスターの展覧会があった。gggは印刷会社が運営している銀座グラフィックキャラリーでその名前のとおりグラフィックデザインに関する多岐にわたる展示を行っている。
田中一光さんは1930年生まれの日本を代表するグラフィックデザイナー。2002年1月10日に突然なくなられてもう8年たった。ちょうど私が日本IBMの広報宣伝部長を勤めているとき広告のデザインに関するコンサルタントとお願いしていたのが田中一光先生。そのときコピーは向井秀男先生と言う豪華コンビのコンサルタント。広告宣伝のデザインに関してはまったく素人で広報宣伝部長に就任した私にデザインとコピーのことについてご指導いただいた
野がこのお二人である。
とくに田中一光先生にはお亡くなりになるまでIBMを離れてからもずっといろんなこと、特にものの美しさのことについて教えていただいたが、それはそれまでまったくの門外漢であった私にとって新しい分野に大きな関心を持つきっかけになった。
その一光先生のお仕事の前半、つまり1953年から1979年までのポスター作品が展示されていたのが今回の展覧会である。
田中先生は何冊も本を書いておられるので先生のお仕事やデザインに対するお考え派それらの本を読んでいただければ十分そのお仕事とお考えの偉大さを知ることができる。
ここでは1989年以来、お亡くなりになるまでいろんな機会にうかがったお話のなかの
二つを紹介する。
ひとつは色について
世界中、どこの国のどこの空港に降りてもいまどきその景色はみんな女滋養になってしまっている。特に色は本当に個性がなくなってきている。日本には日本の色がある。色でアイデンティティを示すことが自分のデザインのひとつの狙いである、というようなことを話された。
田中先生の色には先生の固有のパレットがある。どの色をとっても日本、もっといえば大和を感じる。そしてその色が組み合わされてグラフィックデザインになったとき、そこにはまさに日本の姿が表現されている。
もうひとつは文字について
先生はグラフィックデザインの伝える力の強さもさることながら文字が持つコミュニケーションの力を非常に重視されている。文字はそのように伝える者であるから文字はデザインの工夫によって更にその力を強めることが出来る、と同時に、文字は読めて始めて文字である、と言うお考えを伺ったことがある。タイポグラフィと言う世界があることを教わったのも先生からである。
それ以来、いかなる文字のデザインであろうとも読めなくなってしまったデザインされた文字にはまったく興味が無くなってしまった。先生の文字に対するお仕事の集大成されたものはモリサワからでている田中一光先生デザインの明朝体で光明体と名づけられた文字セットだろう。20年以上ご指導をいただいたおかげで我が家には何点か先生の作品がある。
今回は展覧会の図録とともに作品のひとつである一光の植物園シリーズの中の一枚
を紹介する。
先生はとても植物がお好きだった、その植物に対する愛情が感じられる一枚であり季節になると出してきて我が家の階段ホールに飾っている。
今年もまもなくその季節である。

’タダ‘って面白い。

2010年2月22日

最近、限界コストがタダだからタダでいいのだ、というはなしがある。これってかなり面白い。この週末に近くの本屋に行った。そこには‘タダ‘と表紙に書いてある本があっが。
この男、にやりとわらってその本を一冊とりあげすたすたと出口に向かっていって本屋をでようとした。‘もしもし、お客さん‘と店員に呼び止められた。
お客さん、代金を払わずに出て行かないで下さいとこのアルバイト風の店員は男に言った。男は‘この本、タダって書いてあるよ。タダについて書いてあるのだから、この本はタダだう?タダでなくちゃタダについて書いていてもおかしいじゃない?‘こんな屁理屈をこねまわしていたらこの店員、どうしたわけかこの男の言い分に納得したのか、そういわれりゃそうですね、と男の意見に負けたのか。男は本を持って店を出て行った。その男、そのまますたすたどこに行くかと思って後を追ってみたら近くにあるブックXXと言うところに入ってまっすぐ買取カウンターへ。数分後、その男、ニヤニヤしながらタダの本を売って手に入れた1000円を財布に入れながら出て来た。新本だったので高く買ってくれたらしい。なるほど、これがタダで儲けるというモデルか!

沖縄の観光戦略会議

2010年2月21日

先週木曜日、2月18日に沖縄で今後の沖縄の観光戦略について討議する会議に参加した。
議論をするにあたって正月に購入した地図とコンパスの効果がさっそく発揮できた。
沖縄のこれからの観光戦略を考える、と言う会議である。後援はブルーシールアイスクリームとオリオンビール。会議はパネルディスカッション方式。司会は日経新聞出身で現在マルチメディア研究所所長の中島洋氏。パネラーは中田前横浜市長、村上グーグル名誉会長。
高野リッツカールトン前東京支社長それと私の4人である。会議の参加者は約300人、大学生も含めた20台から30台前半の若い人が100以上参加していたのが印象的であった。
中田氏の主張は観光事業を点ではなくそのためのインフラをつくるべきという。村上氏は出身地の大分県の観光の主眼として中国からの観光客の招聘に力を入れようとしているところを紹介。高野氏は沖縄の持っている地理的環境的なよさをもっと発信することの重要さを
指摘。私は最近の地図にはまっているところから、沖縄は明確に中国の、それも上海の海外旅行のできる人たちをメインのターゲットに認知向上の活動を展開するのと同時にギンレイカードを例にとって中国から来る観光客に便利な環境を整える必要性を述べた。
沖縄の那覇と上海の距離は那覇から福岡よりも近く、那覇ー長崎くらいの距離である。とても那覇ー大阪。、あるいは那覇ー東京の距離の比ではなく、そんな近くに世界でもっとも成長のスピードが速く観光出国ブームに沸いている都市がある。
観光戦略としてはまず誰を誘致するかをはっきりさせ、そのターゲットが求めるものを用意すればよいのであって、沖縄の何を売り込むか、というのはtラーゲットが決まってからの話である。これはビジネスの世界ではまず市場を見てその市場の需要を満たすものを商品あるいは製品として提供することを考える。
この機会にまたもや地図とコンパスを持ち出して那覇を中心にいろんな円を書いてみた。驚いたことは那覇ー東京を半径とする円をかくと朝鮮半島のほとんどすべてと中国の沿岸部はすべてその円の中に入るのである。
こんな円を書いてみて思ったのは、沖縄の振興政策は観光事業か?とちょっと疑問に思い始めた。理由はその位置がこれからの中国の発展を考えるときわめて戦略的な位置にあるからである。南の国だから観光、と言うのはどうも短絡過ぎる。もっと南にある台湾はいまやハイテク産業のメッカである。ひょっとして沖縄も中国の発展を視野に入れたテクノロジー産業の場に
することはかんがえられないだろうか?なにも観光だけにたよるのではなく将来性のある要素技術産業、たとえば電気自動車のためのハイテク部品産業のようなことが考えられないのだろうか、これまでずいぶん長い間、継続的ではないが沖縄を見てきている。
そこで語られるのは観光がほとんどである。一時はコールセンターとか一部IT産業を起こそうとして動きもあった。
中国国内での製造を考えれば別だが日本からのハイテク部品輸出を考えたとき沖縄の持つ地理的な優位性は大きいのではないか、。こんなことを考える機会を得られたのが今回の講演会に参加した収穫である。
どうもネットに親しみすぎて最近はややもすると物理的な距離の感覚を失ってきている。しかし、ものの移動、あるいは物理的な接触を考えると距離は厳然として存在する。
人間自身が情報化されてネットのうえを移動できるならともかく物理的物体である限り距離の持つ意味は大きい。
1970年代に教わったある先生から、人と人との関係の強さは距離の三乗に反比例する、と教わった。何のことはない、これは万有引力の法則のひとつなのだが、、、

読むコーヒー、サンケイ エキスプレス

2010年2月21日

サンケイから出している新聞のひとつにサンケイ エキスプレスがある。2年ほど前創刊されているから新聞としてはきわめて新しい。伝統に引きずられない何かがある。
通常の新聞を茶の間で座卓に大きく広げて、その紙面全体をみわたしながら読むタイプだとすればサンケイ エキスプレスは明らかに小ぶりなダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら読むタイプの新聞である。
実はこんな比較ができるのもサンケイ新聞とサンケイエキスプレスの内容はほとんど重なっていて違った形の二つの紙面を容易に比較できるからである。
サンケイとエキスプレスは内容がほとんど同じ、と言うことはたぶんサンケイ新聞が取材した記事を流用してエキスプレスの紙面を作っていると思われる。
ほとんど同じ記事でありながら紙面上で受ける印象はとてもちがう。一方は従来型の大きさの新聞であり、もう一方はタブロイド版で紙も白い。
エキスプレスのほうは記事取材で勝負しているというのではなく、編集者の視点で編集のテイストで勝負している。したがって、紙面での記事のアピールの仕方がちがう。
しかもエキスプレスのほうは重点記事は大きく、それ以外の記事はレポート風にほとんど同じ大きさの枠の中に収めている。更に、重点記事に関してはそこで使われている写真はサンケイにのっている同じ写真にくらべてはるかに大きく、写真の大きさを記事のアクセントに利用している。
たとえばサンケイでは普通に扱っている浅田真央の記事もエキスプレスでは1ページフルにのせていてしかもその三分の二はバンクーバーに到着して手を振っている本人の写真である。
また、土曜日のタイガーウッズの記者会見の記事も記事の大きさもさることながらそこに載せられている写真はウッズとウッズの母が抱き合っている写真であり、何かを暗示させるような写真である。取材はもちろん新聞にとっては重要である。しかし同時にエキスプレスを見ていると編集の持つ力を感じさせられるし、同じコンテンツをマルチに活用すると言うコンテンツビジネスの基本事例をみせられている。
スタバで読む新聞としては普通の新聞よりも明らかにこのエキスプレスのほうが雰囲気に似合っているとおもう。