田中一光ポスター展

2010年2月28日

先週の2月25日まで銀座のgggで田中一光さんのポスター展があった。先週の25日まで、銀座のgggというギャラリーで田中一光先生のポスターの展覧会があった。gggは印刷会社が運営している銀座グラフィックキャラリーでその名前のとおりグラフィックデザインに関する多岐にわたる展示を行っている。
田中一光さんは1930年生まれの日本を代表するグラフィックデザイナー。2002年1月10日に突然なくなられてもう8年たった。ちょうど私が日本IBMの広報宣伝部長を勤めているとき広告のデザインに関するコンサルタントとお願いしていたのが田中一光先生。そのときコピーは向井秀男先生と言う豪華コンビのコンサルタント。広告宣伝のデザインに関してはまったく素人で広報宣伝部長に就任した私にデザインとコピーのことについてご指導いただいた
野がこのお二人である。
とくに田中一光先生にはお亡くなりになるまでIBMを離れてからもずっといろんなこと、特にものの美しさのことについて教えていただいたが、それはそれまでまったくの門外漢であった私にとって新しい分野に大きな関心を持つきっかけになった。
その一光先生のお仕事の前半、つまり1953年から1979年までのポスター作品が展示されていたのが今回の展覧会である。
田中先生は何冊も本を書いておられるので先生のお仕事やデザインに対するお考え派それらの本を読んでいただければ十分そのお仕事とお考えの偉大さを知ることができる。
ここでは1989年以来、お亡くなりになるまでいろんな機会にうかがったお話のなかの
二つを紹介する。
ひとつは色について
世界中、どこの国のどこの空港に降りてもいまどきその景色はみんな女滋養になってしまっている。特に色は本当に個性がなくなってきている。日本には日本の色がある。色でアイデンティティを示すことが自分のデザインのひとつの狙いである、というようなことを話された。
田中先生の色には先生の固有のパレットがある。どの色をとっても日本、もっといえば大和を感じる。そしてその色が組み合わされてグラフィックデザインになったとき、そこにはまさに日本の姿が表現されている。
もうひとつは文字について
先生はグラフィックデザインの伝える力の強さもさることながら文字が持つコミュニケーションの力を非常に重視されている。文字はそのように伝える者であるから文字はデザインの工夫によって更にその力を強めることが出来る、と同時に、文字は読めて始めて文字である、と言うお考えを伺ったことがある。タイポグラフィと言う世界があることを教わったのも先生からである。
それ以来、いかなる文字のデザインであろうとも読めなくなってしまったデザインされた文字にはまったく興味が無くなってしまった。先生の文字に対するお仕事の集大成されたものはモリサワからでている田中一光先生デザインの明朝体で光明体と名づけられた文字セットだろう。20年以上ご指導をいただいたおかげで我が家には何点か先生の作品がある。
今回は展覧会の図録とともに作品のひとつである一光の植物園シリーズの中の一枚
を紹介する。
先生はとても植物がお好きだった、その植物に対する愛情が感じられる一枚であり季節になると出してきて我が家の階段ホールに飾っている。
今年もまもなくその季節である。

’タダ‘って面白い。

2010年2月22日

最近、限界コストがタダだからタダでいいのだ、というはなしがある。これってかなり面白い。この週末に近くの本屋に行った。そこには‘タダ‘と表紙に書いてある本があっが。
この男、にやりとわらってその本を一冊とりあげすたすたと出口に向かっていって本屋をでようとした。‘もしもし、お客さん‘と店員に呼び止められた。
お客さん、代金を払わずに出て行かないで下さいとこのアルバイト風の店員は男に言った。男は‘この本、タダって書いてあるよ。タダについて書いてあるのだから、この本はタダだう?タダでなくちゃタダについて書いていてもおかしいじゃない?‘こんな屁理屈をこねまわしていたらこの店員、どうしたわけかこの男の言い分に納得したのか、そういわれりゃそうですね、と男の意見に負けたのか。男は本を持って店を出て行った。その男、そのまますたすたどこに行くかと思って後を追ってみたら近くにあるブックXXと言うところに入ってまっすぐ買取カウンターへ。数分後、その男、ニヤニヤしながらタダの本を売って手に入れた1000円を財布に入れながら出て来た。新本だったので高く買ってくれたらしい。なるほど、これがタダで儲けるというモデルか!

沖縄の観光戦略会議

2010年2月21日

先週木曜日、2月18日に沖縄で今後の沖縄の観光戦略について討議する会議に参加した。
議論をするにあたって正月に購入した地図とコンパスの効果がさっそく発揮できた。
沖縄のこれからの観光戦略を考える、と言う会議である。後援はブルーシールアイスクリームとオリオンビール。会議はパネルディスカッション方式。司会は日経新聞出身で現在マルチメディア研究所所長の中島洋氏。パネラーは中田前横浜市長、村上グーグル名誉会長。
高野リッツカールトン前東京支社長それと私の4人である。会議の参加者は約300人、大学生も含めた20台から30台前半の若い人が100以上参加していたのが印象的であった。
中田氏の主張は観光事業を点ではなくそのためのインフラをつくるべきという。村上氏は出身地の大分県の観光の主眼として中国からの観光客の招聘に力を入れようとしているところを紹介。高野氏は沖縄の持っている地理的環境的なよさをもっと発信することの重要さを
指摘。私は最近の地図にはまっているところから、沖縄は明確に中国の、それも上海の海外旅行のできる人たちをメインのターゲットに認知向上の活動を展開するのと同時にギンレイカードを例にとって中国から来る観光客に便利な環境を整える必要性を述べた。
沖縄の那覇と上海の距離は那覇から福岡よりも近く、那覇ー長崎くらいの距離である。とても那覇ー大阪。、あるいは那覇ー東京の距離の比ではなく、そんな近くに世界でもっとも成長のスピードが速く観光出国ブームに沸いている都市がある。
観光戦略としてはまず誰を誘致するかをはっきりさせ、そのターゲットが求めるものを用意すればよいのであって、沖縄の何を売り込むか、というのはtラーゲットが決まってからの話である。これはビジネスの世界ではまず市場を見てその市場の需要を満たすものを商品あるいは製品として提供することを考える。
この機会にまたもや地図とコンパスを持ち出して那覇を中心にいろんな円を書いてみた。驚いたことは那覇ー東京を半径とする円をかくと朝鮮半島のほとんどすべてと中国の沿岸部はすべてその円の中に入るのである。
こんな円を書いてみて思ったのは、沖縄の振興政策は観光事業か?とちょっと疑問に思い始めた。理由はその位置がこれからの中国の発展を考えるときわめて戦略的な位置にあるからである。南の国だから観光、と言うのはどうも短絡過ぎる。もっと南にある台湾はいまやハイテク産業のメッカである。ひょっとして沖縄も中国の発展を視野に入れたテクノロジー産業の場に
することはかんがえられないだろうか?なにも観光だけにたよるのではなく将来性のある要素技術産業、たとえば電気自動車のためのハイテク部品産業のようなことが考えられないのだろうか、これまでずいぶん長い間、継続的ではないが沖縄を見てきている。
そこで語られるのは観光がほとんどである。一時はコールセンターとか一部IT産業を起こそうとして動きもあった。
中国国内での製造を考えれば別だが日本からのハイテク部品輸出を考えたとき沖縄の持つ地理的な優位性は大きいのではないか、。こんなことを考える機会を得られたのが今回の講演会に参加した収穫である。
どうもネットに親しみすぎて最近はややもすると物理的な距離の感覚を失ってきている。しかし、ものの移動、あるいは物理的な接触を考えると距離は厳然として存在する。
人間自身が情報化されてネットのうえを移動できるならともかく物理的物体である限り距離の持つ意味は大きい。
1970年代に教わったある先生から、人と人との関係の強さは距離の三乗に反比例する、と教わった。何のことはない、これは万有引力の法則のひとつなのだが、、、

読むコーヒー、サンケイ エキスプレス

2010年2月21日

サンケイから出している新聞のひとつにサンケイ エキスプレスがある。2年ほど前創刊されているから新聞としてはきわめて新しい。伝統に引きずられない何かがある。
通常の新聞を茶の間で座卓に大きく広げて、その紙面全体をみわたしながら読むタイプだとすればサンケイ エキスプレスは明らかに小ぶりなダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら読むタイプの新聞である。
実はこんな比較ができるのもサンケイ新聞とサンケイエキスプレスの内容はほとんど重なっていて違った形の二つの紙面を容易に比較できるからである。
サンケイとエキスプレスは内容がほとんど同じ、と言うことはたぶんサンケイ新聞が取材した記事を流用してエキスプレスの紙面を作っていると思われる。
ほとんど同じ記事でありながら紙面上で受ける印象はとてもちがう。一方は従来型の大きさの新聞であり、もう一方はタブロイド版で紙も白い。
エキスプレスのほうは記事取材で勝負しているというのではなく、編集者の視点で編集のテイストで勝負している。したがって、紙面での記事のアピールの仕方がちがう。
しかもエキスプレスのほうは重点記事は大きく、それ以外の記事はレポート風にほとんど同じ大きさの枠の中に収めている。更に、重点記事に関してはそこで使われている写真はサンケイにのっている同じ写真にくらべてはるかに大きく、写真の大きさを記事のアクセントに利用している。
たとえばサンケイでは普通に扱っている浅田真央の記事もエキスプレスでは1ページフルにのせていてしかもその三分の二はバンクーバーに到着して手を振っている本人の写真である。
また、土曜日のタイガーウッズの記者会見の記事も記事の大きさもさることながらそこに載せられている写真はウッズとウッズの母が抱き合っている写真であり、何かを暗示させるような写真である。取材はもちろん新聞にとっては重要である。しかし同時にエキスプレスを見ていると編集の持つ力を感じさせられるし、同じコンテンツをマルチに活用すると言うコンテンツビジネスの基本事例をみせられている。
スタバで読む新聞としては普通の新聞よりも明らかにこのエキスプレスのほうが雰囲気に似合っているとおもう。

松丸図書館

2010年2月16日

丸の内の丸善本店のなかに松丸図書館と言うところが出現した。
東京駅の丸の内のオアゾのなかに丸善の本店がある。
一階から四階までを占める巨大な書店である。
その書店のなかに最近松丸図書館というかなり大きなコーナーが
できた。書店のなかの図書館であるが、単なる図書館ではなく
底に展示されている本は買うことができる。
松丸図書館と言う名前は松岡正剛の松と丸善の丸をとってつけた名前である。
この図書館には松岡正剛がネットで発信している千夜千冊に登場する本が集められている。
千夜千冊はもう千冊を超えたから個々に展示されている本の点数は千冊をこえているとおもう。
千夜千冊に出てくる本が並んでいる、と言うことは松岡正剛の読書のヒストリーが集められているということである。もう、何度か足を運んでいるのだが、最初に入ったときは、自分もこんなライブラリーがもてたら、と一瞬おもった。ただ、こんなに広い分野を網羅する必要はなく、ある特定の分野だけでもよい、自分の家に作りたいと思わせる図書館である。自宅に書斎を作りたいと思う人はぜひ見ておくべきばしょである。
ここに集められている本もすごいパワーを発揮しているがその本を収納している書棚がいろんなパターンで構成されていて、書棚そのものもひとつの陳列物という感じである。
昨日体験したのだが、この図書館の素晴らしいところは千夜千冊にでて来た本であれば、たとえその本が版元で在庫切れになっていても古本を探してきて提供してくれることである。
昨日はそんな一冊をこの図書館で発見し買うことが出来た。
とにかく一時間くらいはあっというまにつかってしまう、吸い込まれるような魅力のある空間である。

愛犬ロンの死ー0.6秒の悲劇

2010年2月15日

近くの農道で愛犬のロンが車にはねられて死んだ。いつもわたりなれていた道をわたるとき、飼い主の知人でロンもよく知っている人の車だった。
農道に一台真新しいくるまがとまっている。
車の前に立った男は呆然と目の前に横たわっている犬を見ている。
ロンは車にはねられた瞬間、あれ、こんなはずではなかったのに、、とつぶやいた。
どんどん意識が薄れていく。
いつもわたりなれた農道である。
確か、数秒前、ロンは車が来るのを見た。
よく知っている飼い主の友人の車である。
運転している人もその人だった。
その人は犬好きで飼い主の家に行く度に、‘ロン‘と声をかけてくれて頭と首をなでてくれる。
農道でみかけたのも始めてではない。
いつも、この道で出会うとそばまで来て車をとめてロンをなでて‘ご主人は家にいるかな?‘ときいてくれる。
だから、今日もいつものようにそばまで来て止まってくれると思った。
その人はロンを見つけて明らかに車の速度が落ちていたからブレーキを踏んで止まるつもりだったはず。
ところがなぜ、はねとばされたんだ?それも昨日飼い主のところに見せに来てくれた新車のエコカーだったのに。。。
ロンの意識は消えて、鼓動も止まった。
そばに立って途方にくれた様子の男性は‘止まったはずなのに、、どうして?‘としゃがみこんでロンを抱き上げ、すぐ近くのロンの飼い主の家に向かって歩き始めた。
実はこの車、これまで乗っていた同じメーカーの車よりもブレーキをかけてから止まるまでの時間が0.6秒長くかかることを、その日の夕方のテレビは伝えていた。0.6秒,それは時速40キロで走っていて10メートル足らずの距離ではあったが、、、、、その距離がロンの期待を裏切った。

数、力、そして金

2010年2月15日

あいかわらず、小沢、鳩山のお金の話題でマスコミは持ちきりだがオリンピックで少しは変わるか?
今年は確定申告で鳩山流、小沢流の工夫をする人が激増するのでは?
もっともそれほど金持ちはたくさんいないかもしれないが、、、
数、力、金
これははるか昔、小沢一郎が師と仰ぐ田中角栄のことばである。
田中角栄いわく、
政治は数、数は力、力は金
つまり、政治の目的は金である、ということを正直に言っているのである。
その第一である数を取るには金が要る、というわけである。
金によって数をあつめ、数が集まると政権と言う力を手に入れ、力が得られたらそれを金に変えるのが政治、というわけである。判り易すぎないか。
ところで、数、力、金というつながりをみて、なにか、最近の風潮でピンとくるものはないか?そう、インターネットの世界の‘タダ乗り‘論である。
タダにすれば数が集まる。ビュー数という数があつまればそれがパワーになりそこにただ数だけを頼りにして広告を入れる広告主がいて、結果はタダで集めたところに金が入る、と言う話である。比較的格調の高い某経済週刊誌でも取り上げざるを得ないくらい最近の話題のようだ。まさに数年前に熱く盛り上がったセカンドライフを思い出させる。
ほとんどの人は、セカンドライフってなんだったけ?というかもしれないが、、、
インターネットの世界の面白い特徴は数の議論は得意だが質の議論はあまりされない。たぶんまだ質の議論をするほどこの世界が成熟してないからだろう。
ところが最近質の議論がちらほら、出始めている。数週間前に会った広告関係の人とネットの広告が話題になったとき、この人いわくネットの広告主もだんだん賢明になってきているよ。広告を出すメディアの量だけ出なく、信頼性ということも気にし始めている。いくら数が集まっているからといってタダのサイトに集まっている人たちは所詮ものにお金を払う意識の少ない人たちだから、こんなところに広告を出しても意味が薄いことに気がつき始めている、との発言。たしかに砂漠に水をまいたところで花が咲くわけでなし、なるほど、なるほどと聞いてしまった。
どうも今年はこれまでタダだったものがお金を取るようになるスタートの年ではないだろうか?
インターネットに限らずメディアとそこから提供される情報の信頼性、ある種の質、について情報の有料化とともに議論となりはじめるだろう。
情報にお金を払うと言うことはその信頼性と希少性に対してはらうことであり、よく言われるデジタル化されたものは限界コストはゼロだからタダでいいのだ、という議論で無視されている初期投資コストを負担することにより情報の再生産を可能とすることである。
言ってみればインターネットの世界も焼畑農業の世界から次の段階に進化しようとしているところである。
さて、政治の世界に戻ったとき、数を集めるための金を寄付した奇特な人たちは政治プロセスの再生産の結果としてやはり寄付した以上のお金が戻って行ったのだろうか?

一日を二日に

2010年2月 8日

私の最近の休日のライフスタイル。
計画的ではなく、自然発生的に一日を二日に分割して生活している。先週、気がついたことがある。このところ、週末の自分の生活の時間配分が以前と変わって来ている。
一日で二日生活をしているかんじなのである。
つまり、一日が12時間x2と言うサイクルになっている。
これって、ひょっとしたら週末人生を2倍たのしんでいるということか?こんな感じである。
23時とか24時に寝る。4時間後の3時から4時に起きる。
ほとんどの場合とても頭がすっきりしている。
さっそくなにかをはじめる。そうは言っても深夜だから音を出したり外に出かけたりするのではなく、机の前で出来ることをはじめる。
音を小さく音楽をかけながら、、、こんなときに便利なのはiTuneのDJ機能である。ほうっておいても次から次へ自分のライブラリーから音源を引き出し音を出してくれる。
明るくなって朝食を食べて午前中にジムに行く。
実は早朝にデスクワークをしているときは結構飲みながら読書あるいは書き物をしていることが多い。
こんなときの飲み物はクラッシュアイスにウイスキーとか度数の高い泡盛とかである。クラッシュアイスだと溶けるのが早いのでちょうどいい加減の水割りになる。
ちょっと遠くに出かけたい時は朝食をとらずに6時ごろ家を出て昼前後に帰ってくる。車なら片道100キロ程度のところを往復して昼過ぎに十分戻ってこれる。
12時前にジムから戻って軽く昼食を食べると眠気がするので抵抗せず昼ねをする。ちょっと長い昼ねで2時間半くらいである。ちょうど16時前くらいである。そこから24時まで後半の12時間の生活を始める。渋谷までショッピングにでかけることもあり、散髪にいくこともあり、カメラを持って夕暮れどきを写しにいくこともある。夜は早めに夕食をとると時には飲みにでたり、ライブを聴きにいったり、、、パターンは固定しているわけではないが一日の休日を二日、楽しんでいる。
これってよく考えてみたら地中海沿岸の人たちの生活パターンでは?
彼らは終日でも昼に家にもどってシェスタをとって4時ごろまた、会社に出てきていた。
職住接近なら、毎日が二日、と言う生活ができる!

2月1日発売の週刊東洋経済

2010年2月 2日

2月1日発売の週刊東洋経済は力作である。特集が2020の世界と日本についての予測である。特に中国についての評価とアメリカについての評価がおもしろい。
これはアメリカの学者などの意見が多いからだと思うが、、、今週の週刊東洋経済の特殊、2020の世界と日本は57ページにわたる今後10年の予測である。
世界といっても主眼はアメリカ、中国そして日本であるからヨーロッパあるいはイスラム社会についてはほとんど触れられていないが、それを割り引いても週刊誌の特集としてはかなりの力作である。
いくつかのポイントを挙げると、アメリカは昨今言われているような先行き不安ではなく今後もパワーを持ち続けると言う意見が多く述べられている。もっとも、これはアメリカの人が言っていることだから当然かもしれない。しかし、今後もパワーが続くと言っているロジックを知ることに意味がある。それと並行して中国に関してはかなりペシミスティックに見ている。
やはり政府の統率力についての将来への不安がその基調にあるのと、沿岸部と内陸部の格差が今後国内的なひずみを生み出すことを危険要素としてしてきしている。
日本に関しては日本のコンテンツはそれほど強いのか?という疑問を投げかけている。この点は自分自身かねてから疑問があったのでなるほどなるほどとうなずいてしまったところである。
もっとも参考になったのは特集の最初に提示されているG20ヶ国にかんするいろんなランキングである。面積とか人口だけでなく6項目についてランキングを載せている。それを見ていて、このような比較だけでよいのか、と思った項目が二つある。ひとつは軍事支出である。これを素直に見てしまうとこれが軍備力のランクに見えてしまう。日本は5位で、その上位はアメリカ、中国、イギリス、フランスである。アメリカの軍備支出はほかのくによりも一桁大きい。そこで疑問をもったのは日本の軍備費を考えたとき、在日米軍にたいして支出している部分がふくまれているのだろうか?ということである。
さらに、日本の軍事力をみたときに在日米軍の軍事力はどう考えたらよいのかということである。二位の中国と日本の軍備費の差は約2兆円である。
ひょっとして在日米軍の軍事力を自衛隊の軍事力に加えたら中国の軍事力と同じくらいのレベルでは?と考えてしまった。
地政学的な視点からみるとこのような比較分析もひつようなのではないか?もうひとつはGDPである。国内生産高であるが製品の素材の原産国が多岐にわたるこの時代にGDPははたして国力をあらわしているのだろうか?もし、国力を見ようとするならば現在ではその国が生み出す付加価値ではないだろうか。ただ、その付加価値はどのような方法で評価したらよいのか判っていないのが残念だが、、、、
とにかく今週号はおもしろい。お勧めの一冊である。ヨーロッパの識者の意見が載っていないことを割り引いても、、、、