今日のランチ

2010年6月 5日

今日は久しぶりに会う家族と目黒川沿いのレストランでランチ。
川沿いのオープンテラスの店で天気もよくこんなランチにぴったりだった。
今日のランチの仲間はリトルプリンセスとそのご両親。
ご両親は以前からの知り合いだが、リトルプリンセスとは初顔合わせ。
彼女の家族とは彼女の曾祖母と私の母との付き合いがその始まり。
もう、半世紀以上前、私と私の弟、彼女の祖母とは同じ小学校。
そのときのPTAでわたしの母と彼女の曾祖母が知り合ったのできっかけ。
彼女はもう少しで2歳だが、もうかなりの美女の片鱗をうかがわせている。
彼女の大きな眼と私の視点があったとき、一瞬見つめられてにっこりされたときには年甲斐も無くどきりとした。彼女の母も祖母も美人で有名だったひとだし、父親は往年のジャンポールベルモントを彷彿とさせるイタリア系アメリカ人。
このリトルプリンセスが既に美女の片鱗を見せているのは当然といえば当然。
10年後が楽しみな彼女である。
写真を写し忘れてここに紹介できないのが残念。

一日、一週間、一月

2010年6月 4日

時間のサイクルの違い、感じたことないだろうか?
どうも最近このサイクルの同期に苦労する。
このところ、二箇所のまったく違うところと仕事をしてる。
ひとつは上海、ひとつは北陸の地方都市、そして自分の住んでいる東京。
上海との仕事では向こうの一日が東京の一週間である。
上海に何かを投げると一日で帰ってくる。その帰ってきたボールを東京で処理するのに軽く一週間かかる。
この違いの大きな要因は意思決定にある。
上海では、どうも社会の方向設定が明確のようで、その方向に乗っているものはすぐにイエス、そうでなければ即座にノーである。
ところが東京では社会全体、企業もふくめて自信のあるリーダーがいないためか基本的な方向設定が出来ていない。だから判断を下すときにそれぞれが独自にそれぞれの能力の範囲とそれぞれが引き受けられるリスクの範囲で判断を行わざるをえない。世の中、自分ではっきりした価値観なり方向性を持っていてしかもリスクが何かを考えて判断を下せる人はそんなにいない。
したがって、判断を下すのに時間がかかる。時間をかけたからといって優れた判断がなされるわけではないのだが……そう言えば普天間の件がよい例である。
だから上海の一日の処理が東京では一週間以上かかってしまう。
さて、地方に眼を移してみる。
そこでは、何かテーマを設定して作業に入るのだが、なぜそれをするのか、となぜ、なぜ、なぜを3回も繰り返すと凍り付いてしまう。やろうとしていること、やっていることの目的が共有されていないのである。そのために、さて、これはなんでやっているのだろう、ということを考えることから始まる。
したがって、当然ながらちょっとしたことを決めるのに一ヶ月はかかってしまう。上海の一日がここでは一ヶ月である。
時間的な生産性の比較をすれば地方の都市を1とすれば、東京は4、上海は28である。これは同じ能力で仕事をしていたら上海は東京の7倍のアウトプットが可能であるとも言える。どうも、こんなところに最近の中国の活況の秘密がある、ひっくり返してみると日本の社会の停滞の原因があるのではないか。
このようにサイクルスピードの違う仕事を同時並行的に手がけているとこのタイミングの調整がストレスになる。
そういえば、最近電車が止まって降りるとき、乗るとき、あるいはホームを歩くとき階段を下りるとき携帯のメールを見ながら周りとはまったく無縁のペースで歩いている人たちがいる。そんな人が前を歩いているとつんのめってしまう。しかし当の本人はメールに陶酔しているから何も感じない。
世の中、何もかものスピードが同期せず、ばらばらになっていてそれが一番スピードの遅いところに合わさってしまっている。つまり、社会のスピードその一番遅いところにいやおう無く合わされてしまっているから、社会の活動全体も一番遅いペースで動いている。それが社会も経済も不活性な根本原因ではないか、と思っている。
しかし、もし、それが原因であれば対処策はなさそうである。
今日は恐ろしいモノをみた。民主党の代表選挙の開票のときである。
束ねた投票用紙を一人の人が一枚一枚手でめくりながら確認している。多分投票用紙の記載の確認なのだろう。
その確認の作業を海外のメディアをふくめ日本中の人がジット見ている。
それが終わると投票用紙はカウントする機械にかけられ2度カウントされる。その数字を手書きでよみあげるのであろう原稿に書き写している。書き写された原稿が司会者に渡され、ようやく得票数が読み上げられる。
タイムマシンに乗った気分だった。多分明治時代のやり方から進歩しているところがあるとすれば投票用紙のカウントマシンが導入されたところだけだろう。日本の政治の明治時代からの進歩もこの程度ではないかと思わせるシーンである。
この作業を見ていてなにか今度の政府の仕事のスピードを象徴しているように思えた。
日本全体の仕組みのある程度のスピードアップが社会と経済の回復の一番の処方箋ではないだろうか。

渋谷区立長谷戸小学校の壁画

2010年6月 3日

長谷戸小学校は恵比寿駅から歩いて10分弱、駒沢通りから代官山方向に
ちょっと入ったところにある。
この小学校の外壁に創立90周年の卒業記念に壁画を描いたらしい。とてもかわいい。
壁の落書きもこれくらいだと許せる。




トリスのポケットボトル

2010年6月 2日

富山県高岡市
駅の周りを1時間半くらい歩き回ってもコンビニなし、ドトールなし、もちろんスタバなし。
かろうじて駅の中にコンビニ風の店があった。

JRに乗る前にビールでも買おうと思い、その店にはいったら、ビールとか日本酒の棚の下の段に焼酎のポケットビンと並んでいたのが写真のトリス。
懐かしい!学生のころ、この白とリスはプレミアムだった。普段はレッドのトリスを飲んでいた。
さっそく買って、ジーンズの後ろのポケットに入れてみる。ぴったり収まる。
むかし、ワイルドターキーの広告でテンガロンハットをかぶった男がジーンズのうしろのポケットにねじ込んでいたのを思い出す。
列車に乗って座るなり封をきってラッパのみ、といってもちょっと口の中にたらしこむだけ。
思いがけなくうまい。
このボトル、271円。ビールの500ミリよりも安い。
しばらくポケットサイズのボトルにはまりそうだ。
ところで、トリスとかサントリーとはふざけた名前をつけたものだ。
まだ、トリスはよい。鳥井という創業者の名前をとってTory`sとつけたのだから。
サントリーは‘鳥井さん‘をひっくりかえしてサントリー。
サントリー、サントリー、さんとりー、、、、と連呼すると‘鳥井さん‘である。

富山県高岡市

2010年6月 1日

昨年から年に数回、富山県の高岡市まで出かけている。
友人の紹介で富山大学芸術文化学部のプロジェクトに参加
しているからである。
これまでアットネットホームのときに地域のケーブルテレビ局を
訪問したとき以外に日本海側に行くことの機会はすくなく、最近の
ように定期的に高岡市を訪れるようになるといろいろ発見できて
面白い。

JRの高岡には越後湯沢から特急‘はくたか‘祈って約2時間強、直江津、糸魚川、富山を経て高岡に着く。
駅前にたつとまず眼にはいるのはほぼ廃墟化した3階建ての駅前商店街ビル。
このビルで未だ元気にビジネスを続けているのは大手消費者金融の3社で、その電飾看板がやたら目立つ。
これを見る限り、‘地方の荒廃‘そのものである。最初のうち、しばらくはそう思っていた。
このところ、日帰りではなく一泊するようになり、駅前のビジネスホテルに一泊すると朝出発前に駅の周辺を
小一時間散歩をするようになった。
駅前商店街ビルこそ寂れているがちょっとあるくとなかなかいい風情の街である。先週も泊まった朝散歩を
していると写真にあるような元気な看板を見つけた。
なんだ、すごい元気のある街ではないか!
渋谷でもこんなに元気のよい看板は最近まったくお目にかかれない。
それにしても看板も値段も手書きのところがますますうれしくなる。
ちなみにこの写真を写したときは朝早くだったので営業はしていなかった。