evernote

2010年9月30日

気がついたらもう2週間もブログを更新していなかった!ブログ更新をサボっていた言い訳をする。
ちょうど連休あたりから涼しくなり始めたが、それにつれて夏の間暑くて寝苦しかったために溜まっていた寝不足が一気にあたまをもたげてきて睡魔におそわれていた。毎日、8時間を越えるほど寝るのだから自分にとっては尋常ではない。
あわせて、夏の初めに手に入れたSIMフリーのiPadにこのところすっかりはまっていていろんなソフトをダウンロードし始めた。ダウンロードすれば当然使いたくなる。
最初はキーボード系のソフトをいろいろダウンロードして触って見ていたがそれほどはまることは無かった。
ダウンロードしたソフトのひとつにEvernoteというメモ書きノートのソフトがある。これまでの仕事柄この手のいろんなプロダクティビティツールは使ってきたがほとんどはちょっと試してみるだけで長続きしたためしはなかった。ところが今回はすっかりEvernoteにはまっている。とくにこの2週間はかなりの時間、このソフトに時間をつぎ込んでいる。
Evernoteはいまはやりのクラウドコンピューティング環境サービスとメモ書きソフト機能とを組み合わせたサービスを提供している。
このソフトはパソコン、スマートフォン、パッドなどかなり範囲のひろいデバイスで使える。
しかも、あるサイズまでのクラウド上のスペースを使っているかぎりは無料である、それ以上のスペースが欲しければ月額5ドルで大幅に利用するスペースを拡大することができる。
したがって自分の使っているパソコンにも、スマートフォンにも、パッドもダウンロードしてもタダである。
最初にインストールしたのはiPad。.そこでまずユーザーIdを登録。
その後、現在ではiPhone,Thinkpad,Macbookと4台の異なるタイプのデバイスに全てEvernoteをインストールしている。
おなじEvernoteだが機種によって使い方が異なる。
iPhoneはもっぱらデジカメ代わりでつかっている。iPhoneのEvernoteのスナップショットというカメラ機能をつかってスナップ写真をとる。
写した写真はクラウドと同期して何もすることなくクラウド上に収納される。
iPadはもっぱらこのスナップショットを見たり、あるいは外にいるときに思いついたことを簡単にメモするのに使っている。ソフトキーボードではなにかと使いづらいのでとうとうBluetoothの折りたたみキーボードまで手に入れてしまった。二台のパソコンはもっぱらスナップショットに関するコメントを書き込んだり、長めのメモを打ち込んだり、あるいはiPadで外にいるときに書き込んでおいた短いメモに関してさらに詳しい書き込みをするために使っている。このところさらに欲望は膨らみ始め、iPadを持ち歩かないとき、せいぜいノートとiPhoneしかもたずにでかけたときなどにノートへの手書きメモもEvernoteに載せようとおもいAirpenというおもちゃの導入を検討中である。
たまたま、昨日友人にこの話をしていたら今日デジタルガレージ主催のセミナーがあってそこにEvernoteのCEOが講演に来るという。
今日は昼間はフルにつまっているのだが、講演は恵比寿で17時20分から。なんとか飛び込んで講演を聴きたいのだが、、、、これでますますはまってしまうか?
以上、2週間もブログをサボっていたことの釈明である。

良い男(4)

2010年9月16日

良い男について書くのも4回目、自分で書いていてそろそろ
自分が良いと思う男の最大公約数的イメージができつつある。
21世紀にはいってからのことである。
うろ覚えだがたしか2003年だったのではないか、とおもう。
マンハッタンにシルクという有名レストランがあった。
いまもあるかもしれない。シルクは絹ではなくサーカスという意味
である。その廉価版がたしか6th Avenueを西に少しはいった
ミッドタウンにオープンした。シルコという名前である。
名前の意味は小さなサーカス。シルクは高いので有名だったから
行ったことは無かったがシルコは廉価版と聞いて開店して比較的
早い時期に出かけていったときのことである。
席に案内されて、周りを見回すとウッディアレンが来ている。
それも、例の若い東洋人女性と一緒に、である。席にはもう一組
業界らしきカップルも一緒。
ウディアレンはミアファローと結婚していたが東洋人の女の子を
養女にした。しばらくたってその養女が大きくなった頃手をつけて
しまった。一時、スキャンダルになったことがある。
ミアファローは好きな女優のひとりだった。三つほど離れたテーブル
に座っている東洋人の女性はそのほっそりしたところはミアファロー
に似ているが私から見ればミアファローのほうが数段よいおんなに
見えるが、女性だけは好みの問題である。
ウディアレンは映画俳優、監督だけでなく、実はジャズのクラリネット
プレーヤーとしても活動していた。定期的にマンハッタンにあるジャズ
クラブで演奏していた。2度ばかり聴きにいったことがある。
いまでもおもいだすのだが、まったく風采の上がらぬ中年おとこである。
印象的なのはアルバート式というマイナーな構造のクラリネットを
吹いていたことである。
風采が上がらず、美女の奥さんを持ちながらいい年をして養女に
手をつけてしまいパートナーとしている。このアンバランスが良い感じ
である。
ちなみにシルコはイタリア料理である。味のほうはウディアレンと連れの女性に気をとられていたのでよくおぼえていない。客のほうに関心をとられてしまう程度の味だったのかもしれない。

清澄白河

2010年9月14日

清澄白河、ご存知の方はご存知なのだろうが、わたしにとってはこれまで
なじみの薄い名前だった。

数日前のことである。
大手町から青山へ半蔵門線で移動するので半蔵門線のホームまで
降りていったときに、青山での打ち合わせが1時間後ろにずれる
連絡が入ってきた。突然、2時間ほどの空白の時間が出た。
ちょうど昼飯時なのでそれではどこかでゆっくり昼飯をたべるか、と
思いながら半蔵門線の路線図を眺めていた。
青山と反対方向を見ていたら清澄白河という駅名が飛び込んできた。
大手町からは三越前、水天宮、そして清澄白河である。
そもそも、路線図を見ていたのは日本橋か水天宮あたりで洋食屋に
でも入ろうかとおもっていたのだが、清澄白河という私にとっては
なじみの無い名前を見て急に行ってみたくなりそちら方向の半蔵門
線に乗った。
清澄白河の駅を降りて、駅構内の周辺の地図をみたら、深川という
文字がある。江戸なんとか博物館、というのもある。なんだ、ここは
ひょっとして深川か。それなら深川飯があるはず、と思って出かけた
のが写真の深川宿である。もう一枚はその深川宿の近くにある
佃煮やである。深川飯を食べたあと、この店であさりの佃煮、580円
を買って帰った。
駅名をなぜ清澄白河にしたのだろう?私にとっては深川のほうがずっと
親しみやすいのだが、、、、

カセットフーで秋刀魚を焼く

2010年9月13日

カセットフーで秋刀魚を焼くときにはちょっと工夫が必要である。

写真の秋刀魚は一匹290円!
例年ならば100円前後で買えるのに、、、、
写真で判るように秋刀魚はカセットの巾よりも長い。
このような長いものを焼くにはちょっとした工夫がいる。
普通の正方形の餅アミでは魚がはみ出てしまう。
そこで、写真にあるような長方形のアミを使用する。
これは近くの雑貨やには売っていなかったがバーベキュー
用品を売っている店で購入した。このアミに秋刀魚を乗せる。
当然ながらコンロの火は秋刀魚の一部にしか当たらない。
そこで全体を焼くにはこのアミを動かして魚の全体に順番に
火を当てて焼いていくのである。この長方形のアミは大きめのものを焼くのにとても便利だから一枚用意されることをおすすめする。
今シーズンいろいろ焼いてみたがその中で一番おいしかったのはこの秋刀魚であった。

CSI:科学捜査班

2010年9月13日

かなり以前からはまっているテレビドラマのシリーズにアメリカの捜査モノドラマのCSIシリーズがある。
シリーズは三つの作品系列、ラスベガスを舞台とするCSI:科学捜査班、ニューヨークを舞台にするCSI ニューヨーク、マイアミを舞台にするCSI マイアミから構成されている。いずれも、徹底した科学捜査から物証をたたき出し犯人を追い詰めていくドラマである。
ドラマとしてのスピード感も面白いが特に興味があるのは物証をたたき出す科学捜査の技術と目の付け所である。そのCSI的な発想で今話題の事件を見てみる。
押尾学の裁判が進行しているがその証人尋問で弁護側の医師の見解と検察側の医師の見解がまったく違っていた。
そもそもこの事件のベースとなっているのは薬物中毒によって死亡した女性に関して、そのときそばにいた男性が救急通報をしていたら助かったかどうかということと、その女性の服用した薬物は男性が提供したものかどうか、という二点に集約されるだろう。先ほどの
医師の見解の対立は救急通報をしたら助かったかどうかという中毒症状がでてから死に至るまでの時間についての見解の相違である。十分な時間があったから助かったはず、というのが検察の見解であり、救急通報をしても間に合わなかった、というのが弁護側の主張である。
もうひとつは服用した薬物は男が渡したものか、あるいは女性がもっていたものか、という点である。
報道の弁護側の説明によるとその日は女性が‘新しい良く効くのが手に入ったから‘といって持ってきたものを服用したので被告が持っていたものを与えたのではない、と主張している。
さて、そこでCSIならどんなアプローチをとったであろうか?
まず、女性は司法解剖されたはずである。その過程で当然ながら血液の分析をするだろう。血液分析の結果薬物の存在がわかり、その薬物の混じった血液はスペクトラム分析にかけられ薬物のスペクトラムが特定化される。
また、捜査段階で被告が所持していた薬物を押収しているか、あるいは薬物提供者がわかっているので、その提供者が被告に提供したのと同じ薬物を手に入れているだろう。
一方でもし、女性が所持していたといわれる薬物が押収できていれば万全である。
女性の血液から得られたスペクトラムと被告から押収した薬物のスペクトラムと比較して同じスペクトラムであれば女性に対して被告が薬物を提供した可能性がでてくる。
さらに、女性の所持していたといわれる薬物があるのであればそのスペクトラムと被告の所持していた薬物のスペクトラムが同一かどうか分析してみる。そこで二つのスペクトラムが違っていて、さらに女性の持っていた薬物のスペクトラムと女性の体内から出た薬物のスペクトラムが同じであれば、被告の主張どおり女性が自分で持ってきた薬物を自分で
服用し中毒になった、と推論できる。
ところが女性の体内から出た毒物のスペクトラムと女性の所持していた薬物の巣ペクトラムとがことなり、体内から得られた薬物のスペクトラムが被告の所持していた薬物のスペクトラムと同じであれば明らかに被告が女性に薬物を提供した、と推論できる。
このような分析が出来れば被告の主張が正しいかどうかの判断の資料が出来る。
次に、医師の死に至る時間の見解の相違であるが、それは服用した毒物の量によってことなるのではないだろうか?女性の血液を調べればどれだけの量の薬物を服用したかわかるであろう。その量が多ければ死に至る時間は短いだろうし少なければ長いだろう。
医師の証言で、毒物の服用量がどれくらいであったから、このように推測するといったような発言があったのかどうか、興味があるところである。
CSIのドラマの中の科学捜査はあくまでドラマの中のはなしにすぎないかもしれない。しかし、爪楊枝の先の一片、一滴の血液からいろんなことを洗い出していく捜査のアプローチが本当に可能であればこの種の犯罪の捜査にはとても強力であろう。

二週続きの六本木スーパーデラックス

2010年9月13日

六本木ヒルズから六本木通りを西麻布のほうに少し行ったところの左側のビルの地下に、スーパーデラックスという名の多目的スペースがある。ちょっとしたライブ、あるいは新商品発表、あるいはパーティーに使われる場所である。
そこに久しぶりに、しかも二週間続けてジャズ関係の集まりに出かけた。
先々週はビル・ラズウェルのライブを聴きに行った。
コロムビアにいたジャズ関係のディレクターが日本でのビル・ラズウェルのマネジメントをしている関係で声をかけてもらった。この、山辺さんというディレクターは海外のアーティストの人脈が広く、とくにコンテンポラリー・ジャズのアーティストの間で信頼のある人である。
私がビル・ラズウェルというアーティスト(名ばかりアーティストと自称する
ミュージシャンの多い音楽業界でまさにアーティストである)を知ったのは、山辺さんからビルラズウェルがマスタリングしたCDを聴かせてもらったことがきっかけである。実はこのときはじめてマスタリングというプロセスによる出来上がりの音像の違いとその重要性を知ったので、それ以来、ぜひ会ってみたいと思っていた人である。その人のライブを聴くことができるというので最近はすっかり遠のいていたライブに出かけた。
ライブはビルのベースとドラムスだけの演奏だが、一曲が15分を越すような長さでありながらすっかり演奏に引き込まれた。
ベースにこれだけの表現のしかたがあるのか、というのも驚きだった。
先週はおなじく元コロムビアのディレクターで今は独立してジャズとクラシックのマネジメントプロダクションをしているこもぐちさんから、ジャズの好きな人達が集まるから飲みに来ませんか、とメールをもらった。場所はその前の週に行ったばかりのスーパーデラックスだった。ひょっとしたら、またビル・ラズウェルのときのような拾い物があるかもしれない、と思い出かけた。
実はこのパーティーはモントルージャズフェスティバル誘致を企画するひとたちのキックオフパーティーだったらしいが、とてもしゃれていたのはその類のスピーチなどまったくなく、集まった人たちがそれぞれ顔見知りとおしゃべりしたり自分の知り合いを紹介しあったり、、、昔よく顔を出したSOHOのパーティーのようで、ふらりと飛び込んだ自分にもまったく違和感無くここちよい雰囲気の集まりだった。このパーティーをオーガナイズした人たちは川崎市と協力して来年、川崎でモントルージャズフェスティバルの日本版を開催するべく実行委員会を立ち上げる人達がだそうである。
DJをしていたのは結構年のいったイギリス人である。紹介してもらって話していたらロンドンにもニューヨークにも共通の知り合いがいる。こんなことが判って人と人のつながりが広がるのもパーティーの大きなたのしみである。
この二つの集まりに顔をだして、ひょっとして、と考えたことがある。
もう、CDビジネスの採算が取れなくなり、ビジネスとして成り立たなくなってきている。それでもCDビジネスは続いているが実は継続できる範囲にどんどん活動範囲を削っているのが今のレコード会社の実情である。
その結果、削り取られた部分の音楽関係者が巷に増えてきている。その中には、音楽制作、プロデュース、マネジメントといったところでは非常に優秀な人たちが何人もいる。今回の二つの集まりでもそのような人に何人も会うことが出来た。
その人たちが何か活動をはじめかけている。まだ明確な形、あるいはモデルには成っていないがあきらかに旧来の音楽ビジネスの形とは違っていそうである。
旧来のビジネスのモデルでは成り立たなくなったから新しいビジネスのモデルを作り出そう、という感じでもない。むしろ、商業的には成り立たないかもしれないが、優れた音楽を送り出すことに価値がある、という認識の下に大きな規模ではなく小さな規模で主体的に活動している人たち、その中には演奏家もいれば制作者もマネジメントもいる。そんな人達が集まり、音楽ビジネスというよりは音楽ムーブメントを起こし始めている。音楽でも一流の実績をもちながらそれ以外の仕事をしつつ、音楽に関してはムーブメント(ビジネスではなく)に参加しようとしているように見受けられる。
実はこの二つの活動とは別に、今年の4月に何人かの有志が集まってTokyo TomorrowというNPOを設立する動きが始まった。これも音楽を送り出すことを中心にして活動しようというグループである。グループは何人かの演奏家、歌手
といろんな周辺サービスを行うサービスグループから構成され、サービスグループのメンバーはほとんどほかにメインの仕事をもっていながら音楽の世界でもかなりの実績を持っている人達である。
最近接点を持ったこれらの三つのグループがこれからどのように活動を展開していくのかまだはっきりは判らないが、なんとなくではなるが、今後の音楽活動の流れはこのような活動に移っていくのではないかという予感がする。
多分、来年の今頃にははっきりわかるだろう。

カセット・フー

2010年9月12日

最近はまっているものに卓上ガスコンロのカセット・フーがある。

カセット・フーは多分30年以上の歴史のある商品だろう。
たまたま、今年の夏、長野にいたとき、バーベキューをしようということになった。ところが家内と二人だけなので炭火を起こすほどのことはない。手間を省こうと一台買ってあった6,7年前のカセットフーを持ち出し二人だけの簡単なバーベキューをした。
ガスのカセットボンベを使うガスコンロでありながら、焼いてみると結構おいしい。その翌日も今年は高値が話題になっている秋刀魚を焼いて食べた。長野の高原なのに近くのスーパーには新鮮な魚が売っている。
東京に戻ってきてからもこの簡易バーベキューの味が忘れられず、このところこのコンロで何でもかんでも焼いている。
30年以上も前の製品でありながらちゃんと進歩している。
確か、最初に買ったのはアメリカのニューヨークの郊外で生活していたときのことである。当時のキッチンは電気のコンロであったためにモノを焼くということが不自由であったのでそれを補完するために購入した。当時の出力は確か2000キロカロリーかそれ以下であった。今、長野の家と東京にあるのは2200キロカロリーである。
たまたま、東京に戻ってきて以前から使っていたカセット・フーを使ったら10分くらいたつと火が消えてしまう。きっと古いからだろうと新しいのを一台購入した。買いに行ってみたら3200キロカロリーに出力がアップしている。いろんなモデルがあるが買ったのは3900円。
これで焼くとなぜおいしいのか、といろいろ考えて見た。
ひとつの理由はその高出力だろう。高出力の直火で焼くから外側は、カリカリになり中は水分が奪われずに出来上がる。それに肉類の場合は油がアミの下に落ちるのでもう高齢化している我々にはちょうどよい。ただ、煙が出るのが問題だが窓を開け放し換気扇を最強レベルにしてキッチンのテーブルで使っている。ベランダがあればベランダを使うほうが安全だろうがテーブルの上で目の前で焼きながら食べるのがおいしいのでちょっと無理を承知で室内で使っている。
使うときにひとつ用心する必要がある。
先ほど、古くなったカセット・フーが10分くらい経つと消える、と書いた。
しかし、これは古くなったからではなく、私の使い方が悪かったためである。新しく買ったカセット・フーに書かれていた注意書きを読んで気がついた。東京にもどってきて家にあったカセット・フーを使おうとおもったらアミが無かったので買いにいった。直火よりも炭火のように焼けるという二重の網になっていてその火に当たるほうがセラミック加工をしてある網を買った。ところがセラミック加工がされているため、火に当たるとその部分に熱が溜まる。その結果、ボンベも熱くなる。
それは危険なのでこのコンロにはボンベに近いところがある温度以上になると安全装置が働いて火が消えるのである。そこで注意書きには、このようなアミの下に熱がこもるものは使ってはいけない、と書かれている。それ以来一番簡単な餅アミを使っている。

押尾学

2010年9月10日

このところスポーツ新聞を買って眺めている。じわじわと売上げが落ちているらしい。
スポーツ新聞は家庭に配達する宅配もあるがそのかなりの部分は駅のキオスクとかコンビニでの即売である。
いつも、家の近くのファミマで買う。狙いはスポーツ新聞を買うだけの意味のある情報が載っているのかどうかの評価である。
昨今のスポーツ紙の売れ行きの伸びが悪いのは許しがたい巨人のだらしなさに大きな要因があるのは事実だがそれならそれでほかの記事の充実で販売確保の努力をするべきである。
そこで、このところ話題でなにかと不透明な感じのする押尾学の事件についてどれくらいスポーツ紙は突っ込んだ記事を書いているのか見て評価しようと試みている。
ところがこの3,4日間、大手スポーツ紙2紙は芸能面のほぼ一面をついやしてこの裁判の状況を書いているのだがその中身はほとんどテレビ報道の域をでていない。
たとえば元マネージャーについては元マネージャーとしか出てきていない。ようやく、一紙で泉田という名前がでてきたくらいである。わざわざ新聞をコンビニまで出かけていった買う立場として知りたいのは証言にたった元国会議員とはだれ?早い時期に連絡をとって救急車を
呼ぶように指示した有力知人とはだれ?元マネージャーの上司のシニアマネージャーはだれ?などなど。新聞社の記者なら既に知っているかあるいはちょっと調べればわかるはずなのに書けないのなら、テレビ報道で十分でありわざわざお金を出して買う必要はない。
記事を見ている限り、あくまでも書き手の立場、目線で記事を書いている。読者目線はほとんど意識していない。この程度のテレビの追っかけ記事をテレビと同じレベルで書いているのでは売れ行きが伸びないのも仕方が無い、というのが今朝までのj評価である。

高齢者特典

2010年9月 7日

高齢者特典が魅力なアートの世界。
このところ高齢者特典を享受する機会が増えてきた。
ありがたいことである。

先週末、急に映画がみたくなり、どこでなにを上映しているかなど調べずに渋谷の文化村の6階に出かけた。
多分、ここなら見たい映画をやっているだろう、という勘だけで向かったのだが幸いなことにアガサクリスティ生誕120周年記念の“華麗なるアリバイ”という映画がかかっていてしかも本編上映時間ぴったりに到着。
ボックスオフィスでチケットを求めたら、“シニアですね”とひとこと確認され1000円で見ることができた。
数ヶ月前にはJR東日本の高齢者向け旅クラブに加入、おかげで時々出かける富山へのJRの料金が3割引になっている。
さらに、3週間前に長野県の佐久にいったとき立ち寄ったのが写真にあるメルシャン美術館。
この美術館には御代田に行く機会があるときにはほとんど毎回立ち寄る。
一枚目の写真はその美術館のエントランス、二枚目はエントランス横の屋外に置かれているロダンの彫刻、三枚目は本館の裏手にある美術館、今回はスタジオジブリの強力で小さなルーブルというとても興味深い展示だった。館内全体を利用してジオラマ風にミニチュアルーブルを作っているのである。
この美術館は小さいながらもその企画が面白い。
あるときはロートレックの素描を館内一杯に展示していて、それをみたからロートレックの書く人物像にはそのあごの線に特徴があり、そのような書き方が出来たのはロートレックがとても短身であったからだ、と気がつかされたのもこの美術館の展示のおかげである。
その入場料がシニアはなんと半額の500円!
変なことかもしれないがこんな割引があるとまたでかけよう、という気になる。美術館も映画館も満員で入場を断る状況で無い限り、限界コストはゼロといってよい。限界コストがゼロだからこれまでは年に1回しか来なかった客がシニアになって時間に余裕ができ年に二回来てくれれば5割引でも元々、もし三回来てくれれば売り上げ増である。
このように考えると限界コストがゼロあるいはゼロに近いものは、どんどん高齢者特典をつけることがこれからのビジネスの秘訣ではないだろうか。特に体験型サービスの場合には持ち帰ったり、譲渡したりできないからなおさら特典をつけても影響は少ない。
ひょっとしたらコンビニとかスーパーでも高齢者特典プログラムが効果的かもしれない。特にコンビニでは数が増えて競合が激しくなってきている。単に値下げ競争に入るのもよいが高齢者特典プログラムを作りこれからの人口の主要部分を占める高齢者を囲い込むという戦略もあるのではないだろうか。
ほかに高齢者特典が効果を発揮すると思われるのはバーである。
年をとってくると自然に酒量が減ってくる。バーで飲む量も減る。
ところが酒飲みは結構いじましい。したがって、高齢者特典で3割引、なんてあったりすると余分にもう一杯呑んでしまいそう
である。それも、バーの狙いがそうだとわかっていても、である。
割引があるからもう一杯、というのはバーゲンセールだからもう一着ウエアを買ってしまう女性心理を馬鹿にしているのと
おなじ心理だが……
当分、高齢者特典さがしを楽しもう。

奇妙な選挙

2010年9月 6日

この週末はお天道さまを避けて家に引きこもっていた。
仕方なしにテレビを見ていると奇妙な選挙の報道ばかり。
国民が実際に関与しようのないこのようなことをメディアが報ずるのは
メディアの野次馬化もここまで来たか!という感じ。
奇妙さ その1
国会の議場ではこのところ何年も発言したこともなく、政治資金問題でも無いに等しい発言しかしなかったA氏、野党時代は舌鋒鋭く与党を切りまくる発言をしていたのに与党になって、さらに首相になったらとたんに発言に迫力が無くなったB氏が投票権も無い群集に向かって宣伝車の上に立ったとたん大見得を切って喋り捲るのはどうしてか?
実は群集にしゃべってもこの群集は自分たちの決定にはなんの関与するすべも無く、また、政権公約でもないから好き勝手にしゃべれるのだろう。
そもそも、たんなる党内選挙で国民の関与するすべも無いことでなぜ
街頭演説が必要なのか?
ひょっとしたら衆議院解散でも考えているのか?まさかそんなことは無いだろうが、、、
奇妙さ その2
マスコミ、特にテレビはなぜ党内選挙でしかなく、これによって総理大臣が決まるとはいえ国民にはなすすべのないことにこんなに時間を割いているのか?
ひょっとしてこれによって世論形成をし、それを調査し、その結果が党内選挙での投票にでも反映できると思っているのだろうか?
党内選挙での多数を占める議員の本当の関心はどちらに投票したほうが次の選挙にも勝てるか、あるいはどちらに投票したほうが役職が得られる可能性が高いか、であって国民の世論、それもメディアによって作られた世論調査の結果を党内選挙に反映するような気持ちはかけらも無いだろう。
また、地元の後援会の意見を聴いている議員がいるが後援会としては応援する
先生が少しでも偉くなってくれて地元に利益還元されることが期待であるから世論どうのこうのではなくただ先生には勝ち馬に乗って欲しいだけである。
というわけでテレビ討論会にしてもそこでの発言は公約でもマニフェストでもない。
聴いているほうは選択のしようが無い。
いまマスコミがやるべきことは日銀総裁を呼んでこの円高についての見方、考え方それに対しての日銀としてのポジションであり、今の世の中を考えるとこれほどの緊急課題は無いと思うがマスコミの世間に着いての認識にはこのようなポイントがないのだろうか?
ほとんど意味のない放送である。意味が無いとわかったとたん、テニス中継に切り替えたが、、、、
奇妙さ その3
党首選挙は党の最大行事である。これを仕切るのは党の幹事長であろう。
ところが党幹事長の姿はまったく見えない。どこかに雲隠れしているのか、隠されてしまったのか、、、
奇妙さ その4
‘まだ3ヶ月しかたっていません。もう少し見てください‘とか12月末の予算編成の結果を見て判断してください‘といった言葉が出ている。
しかし、経営者なら3ヶ月ごとに決算し報告し評価される。もっと大事な一国を預かる政府がまだ3ヶ月、なんていっていてよいのかと思う。それに加えて、12月末の予算編成の結果を見て判断、なんていっているとこの不況、年末はどうやって越えるのか? 予算編成の結果によって来年1月から3月の間に国民の判断を仰ぐのか?
つまり、衆議院選挙をやるつもりなのか?
そうでなければ時間延ばしの逃げ口上としか言えないが、、、
奇妙さ その5
お盆から9月14日まで、この空白期間早く1ヶ月である。
国家予算は90兆円強、月に直すとほぼ8兆円である。これは何があろうとも出て行く。
あるいは決定者が不在なので止まっている。たとえば各種助成金の扱いがその例である。この規模の予算が極端な言い方をすれば意思決定者の心ここにあらず、状態の中で流れているのである。
事業仕分けでひねり出した金額の十倍以上である。
奇妙さ その6
‘総理大臣が頻繁に変わるのはみっともない。対外的な信用問題である。‘(だから?)というような発言がコメンテーターからもっともらしく出てくる。変わる事が問題なのではなく変わらざるを得ない資質の総理大臣しか選ばれないことが問題なのである。
したがって、国民としては変えなくてもよい総理大臣が見つかるまで変えざるを得ないのではないか?
それに、海外ではもう日本の総理大臣はしょっちゅう変わるものとあきらめられている。総理大臣がしょっちゅう変わっても国が何とかなっていることをむしろ不思議がっている。
それって、政治主導、政治主導というが霞ヶ関がちゃんとしているから何とかなっているのではないのか?
やはり、引きこもりは良くない。こんなろくでもないことを考える。
今日は気分を一新して外で活発に活動することにする。