怖いものを見てしまった!-続き

2011年1月30日

前回、怖いものを見てしまった、というタイトルで銀座の地下鉄のエスカレーターに乗りながら端でコンビニ弁当を食べている人のことを書いた。そのとき近くで起きた殺人事件よりも怖い、と書いたが若干訂正の必要が出てきた。
現場はちょうど自宅から歩いて3,4分、それも一箇所曲がってもう一箇所の角から坂をくだったところである。
もう2週間以上たつのだが近所に目撃者などの情報を求めるビラが撒かれている以外、もう街は、その周辺の住宅街も含めて、まったく何も無かったような感じに戻ってしまっている。犯人が捕まっていないのに、である。街の雰囲気としてはほとんど風化しつつあるがのようである。至近距離の目撃者もあり商店街や駅の防犯ビデオに写っているのに、、、
最近テレビのアメリカのクライムサスペンス番組を見すぎているせいか、発生した当初はすぐにつかまるだろうとおもっていたが大きな予想はずれである。そんなわけで、最近はちょっとこの殺人事件のほうが怖くなってきた。ただ、エスカレーターでお箸を使って弁当を食べるほうが殺人よりも怖い、といった意味は殺人は罪である。法律で定められている。しかし、どこにもエスカレーターで弁当を食べてはいけない、と規定されているわけでない。してはいけないと明示的に規定されていることと明示的に規定されているわけではないが普通はそんなことはやらないということと、変わったことをしても面白い、と許される範囲のことと、、、
何でもあり、だから何でもしてしまう、ということと、、、、社会的な許容範囲が広いことは決して悪いことではないし、自分自身はかなり許容範囲を広げて生きているタイプだと思うのだが、、、
難しく考えると人間の社会的適合性についての議論になるのかもしれない。暗黙の約束がある程度成り立つ社会のほうが息苦しくなくてよいと思うのだがどうだろう。

アイデアの出やすいオフィス、出にくいオフィス

2011年1月27日

どうも、オフィスのタイプによってアイデアのでやすいオフィス、
出にくいオフィスがあるのに気がついた。
これまでの自分の仕事の遍歴を思い返してみると企業によって
オフィスの構成が大きく異なる事に気がついた。
これまではそれぞれの企業のカラーだと思ってあまり深く
考えなかったが思い返してみると事業のタイプによって
オフィスの作り方が違うのに気づきた。
多くの伝統的な企業のオフィスレイアウトとアイデアを生み出す
事が仕事の上で求められるタイプの企業のオフィスとは異なっている。
最も特徴的なのはその会議室、会議スペースの取り方、そこに置かれた
備品の違いである。
多くの伝統的な企業のオフィスを見てみよう。
まず、全体のオフィススペースにおける会議室の割合が低い。
小さな会議室というのは殆どなく応接セットが入った応接室がほぼ
部門ごとにある。
会議室ももっぱら打ち合わせに使うので机と椅子だけの部屋である。

続く、

花粉とポレノン

2011年1月27日

昨年10月頃からポレノン という花粉症対策のスプレイ商品のプロモーションに参加している。参加の動機はふたつ。私自身はそれほどの花粉症ではないので自分のニーズからではない。
この商品とそれを開発製造している企業に興味があったからである。花粉症対策の商品は抗ヒスタミン系のもの、あるいはステロイドの注射、あるいはタウロミンのような飲み薬などいろいろあるがいずれも治療しようという感じのものである。ところが、ポレノンは言ってみれば液体マスクという感じのものである。
スプレイしたらコンドーム代わりになるという商品があるらしいがそれに類していてスプレイすると粘膜の上に多糖体のひとつのペクチンで薄い液体の幕を張ってマスクの役割をさせるものである。
液体だから流れ落ちる心配があるし、粘膜だから適当に無くなってくれないとこまる。そこである程度粘膜に吸着性を持たす工夫が必要なのだがここに工夫した商品である。
したがって、副作用もなさそうだし、段々強くしなければ効かないというような心配もなく、しかも抗ヒスタミン性ではないから眠くならない。この液体マスクというところに興味を惹かれた。
二番目はこれを開発販売している会社が極めて小さなベンチャーであるところである。
製品を発明した元大学教授、それと製薬会社OBが二人、営業責任者が一人事務その他もろもろが一人、合計5人である。製造はファブレスの思想で安心できる製造会社に委託している。
根源気のない日本で護りに入った大企業ばかりで成長の見えない時代にこんな極小ベンチャーの製品がプレイクして大成長出来ればこんな楽しいことはない、と思った。
極小ベンチャーでこの商品が最初の商品だから当然有り金はほとんど全て製品の製造につぎ込まなければならない。広告・宣伝・プロモーションの予算など新たに借金しなければ出来ないようなありさまである。これも面白い。
どれだけお金を使わずに認知、好感度を高め商品をブレイクさせるかもチャレンジである。
そんなわけでこの会社の人と一緒に活動して役4ヶ月足らずだが、とうとうアマゾンの花粉症関連商品のランキングトップにまで躍り出た。
小売店への出荷は1月上旬にはじまったばかりというのに、である。
これまでうまく進んできた秘密は、まず、商品のよさがある。それに加えて外部も入れて10人ほどのチームだが全員がこの仕事を楽しんでいることである。
雰囲気は1990年代に経験したシリコンバレーのベンチャーそっくりである。
ひょっとしたらアメリカンドリームならぬジャパニーズドリームが実現するかもしれないと最近はわくわくしている。ポレノン 、興味があったら検索してみて欲しい。

恐ろしいものを見てしまった!

2011年1月21日

一昨日のことである。
近所で殺人事件がおきてもあまり怖いと思わなかったのだが、
一昨日見たものは怖かった。こんなことって!
地下鉄銀座駅の丸の内線から日比谷線への乗り換えの
エスカレーターでのことである。
あのエスカレーターはかなり長く、わたしは丸の内線側から
日比谷線方向へのくだりのエスカレーターに乗っていて
ふと反対側の上ってくるエスカレーターを見たら、どうも
箸のようなものを動かしている中年の女性がいる。
段々近づいてきてよく見たらショルダーバッグを肩にかけ
コンビニ弁当を左手の上で広げて右手の箸で食べている
のである。こんなこと、ありか!?
カロリーメート風のものをかじっていたりペットボトルから
液体を飲んでいるひとはたまにいる。
最近は中目黒始発の地下鉄に乗って座るなり手鏡を
広げて入念に化粧を始める風景にもそんなに驚かなく
なったがさすがにエスカレーターで立ったまま弁当を
広げて箸で食べているのには驚いた。
よほど時間がないのか、我慢が出来ないのか、、、、
本人にとっては周りは見えていないのかもしれないが。
この‘我慢が出来ない‘という行動パターンが曲者では
ないかとおもっている。
それとも、ドラエモンみたいにどこでもドアならぬどこでも
我が家という魔法を身につけた人が増えてきたのだろうか?

江戸の手ぬぐい

2011年1月17日

年があけて、何をしていたのかと思うまもなくもう17日。
何か今年は昨年とはまったく取り囲まれている周りの
空気が違う感じである。年の初めからこんなに足が
宙に浮いている感じではまずいのだが、、、
写真は、実は日本手ぬぐいの染めである。
絵柄は広重東海道五十三次の品川の宿の絵を手ぬぐい
に染めで写したものである。
数日前にハット思い立ち銀座の大野屋に干支の手ぬぐい
を買いに行った。
何年か前からハンカチに比べてサイズの大きい日本手ぬぐい
が便利でハンカチ代わりに使っている。
ウサギの絵柄のものを捜しに行ったら店の中を物色していて
この多色刷りの手ぬぐいを見つけたのでさっそく買って
しまった。
どのように染めるのか、と店の主人に聞いたら和紙に漆を
塗って固めたらその漆を掘ったものを原板として必要な
色数だけ作って重ね刷りをするそうである。
後で調べたが刷染というらしい。
木を掘るのではなくやわらかい漆を掘るのでそんなに枚数
がすれるわけではない。せいぜい数百枚のようである。
ところがもうこの多色刷りの染めの原板を作る職人がいない
そうである。店の主人いわく在庫が無くなれば終わりです。
つまり、和紙に漆を塗ったものを原板として多色刷りの手ぬぐい
をつくる、という技術と文化はもう無くなるのである。
大野屋には何種類かが数枚ずつだけ残っていた。
技術そのものはもっと高価な着物の染めなどに残っている
のかもしれないが簡単に手が届く値段で普段に楽しみに使う
手ぬぐいの世界からはまもなく消えてしまう。

去年の幕引き、今年の幕明け

2011年1月 5日

もう新年も5日になった。とにかく日のたつのは早い。何も起こらぬうちに日が過ぎて行く。
なぜこんなに日の過ぎるのが早いのか、と考えるのだがひとつ、思い当たることがある。
だんだん、何事もそれを進めるのに時間がかかるようになってきているのである。たとえば以前なら一日で終えられたことがいまや二日も三日もかかる。
だから一週間といってもその半分か三分の一しか無い。変わらないのは食事の回数と寝る時間くらいである。
さて、去年の幕引きは大晦日の紅白歌合戦だった。
そして、今年の幕開けは元旦の深夜、つまり紅白が終わって2時間ほど経ってテレビでMJのThis is itを見たことである。紅白歌合戦は見ていて何か変に嫌な気分になり10時ごろに寝てしまった。嫌になったのはその超完全予定調和の番組をみていてなにか某核保有国の国家行事でのマスゲームを見ているような気がしたからである。もちろん多くの人は年末の儀式として予定調和を期待しているがそれも程度問題である。
しばらく寝て元旦の夜中に目を覚ましてテレビをみたらThis is itをやっていた。もう、去年から何回もやっているがMJに関してある種の先入観があるためこれまで腰をちつけて見ることはなかったのだが、この日だけは落ち着いて見始めた。
結果は大感激。理由はMJとそのスタッフがいかに非日常の世界を見せて楽しんでもらうかというエンタテインメントの本質に真っ向からチャレンジし意外性と期待以上の何かを作り出そうとしているからである。それがゆえにオリジナリティがでてくる。
紅白の完全予定調和の世界とは対照的である。
予定調和も意外性もいずれもエンタテインメントの重要な様式である。一概にどちらがよいとは言い切れない。ただ、いま欲しいのは意外性にとんだエンタテインメントである。