2011年1月30日
前回、怖いものを見てしまった、というタイトルで銀座の地下鉄のエスカレーターに乗りながら端でコンビニ弁当を食べている人のことを書いた。そのとき近くで起きた殺人事件よりも怖い、と書いたが若干訂正の必要が出てきた。
現場はちょうど自宅から歩いて3,4分、それも一箇所曲がってもう一箇所の角から坂をくだったところである。
もう2週間以上たつのだが近所に目撃者などの情報を求めるビラが撒かれている以外、もう街は、その周辺の住宅街も含めて、まったく何も無かったような感じに戻ってしまっている。犯人が捕まっていないのに、である。街の雰囲気としてはほとんど風化しつつあるがのようである。至近距離の目撃者もあり商店街や駅の防犯ビデオに写っているのに、、、
最近テレビのアメリカのクライムサスペンス番組を見すぎているせいか、発生した当初はすぐにつかまるだろうとおもっていたが大きな予想はずれである。そんなわけで、最近はちょっとこの殺人事件のほうが怖くなってきた。ただ、エスカレーターでお箸を使って弁当を食べるほうが殺人よりも怖い、といった意味は殺人は罪である。法律で定められている。しかし、どこにもエスカレーターで弁当を食べてはいけない、と規定されているわけでない。してはいけないと明示的に規定されていることと明示的に規定されているわけではないが普通はそんなことはやらないということと、変わったことをしても面白い、と許される範囲のことと、、、
何でもあり、だから何でもしてしまう、ということと、、、、社会的な許容範囲が広いことは決して悪いことではないし、自分自身はかなり許容範囲を広げて生きているタイプだと思うのだが、、、
難しく考えると人間の社会的適合性についての議論になるのかもしれない。暗黙の約束がある程度成り立つ社会のほうが息苦しくなくてよいと思うのだがどうだろう。