京友禅の工房

2011年11月29日

先週、京都に出かけて、京友禅の制作プロデュースをしている方を訪問。
京友禅の技術を活かした今に通じる何か商品を企画開発する相談である。
10月の上旬に赤坂のテレビ局前で京都の伝統技術を活かした商品の物産展が開かれていた。知人が企画していた展示会だったので何を見る、というあてもなく出かけたのだが、その中で偶然にも友禅の染めを使ってなんの変哲もない帆布のトートバッグにボーダーでアクセントをつけたしゃれた商品をみつけ、その場で売り物でなにのに一つ譲ってもらい、それがきっかけでこれらの友禅染を活用した商品をプロデュースしている方と知り合う機会をえた。
`そめてん`というグループを組織し、新しい京友禅の活用を試みている人である。
先週はその方にお会いし京友禅の現状を知りたいと思ってうかがったわけである。
おおよそ友禅のことは人に聞いたりして着物に染め上がったものは見たりしていたがその製造について知るのは初めてである。
まず、驚いたことに下絵描き、その絵から絹地にその下絵を写しさらに下絵部分にノリ染めのノリをおいたり、蝋をおいたりする作業、そのノリをおかれた絹地を染めて、蒸して、ノリを流す作業、さらに染め上がったものに絵を刺したり、金箔をおいたりする作業、出来上がった反物を仕立て上げる作業、、と細かい作業ごとに専門の
職人がいて、その職人の間を絹地がまるで工場の機械の間を縫って動くように移動していちまいの友禅染めの着物に仕上がって行く。仕上がった着物は呉服問屋から呉服屋に出て行くのだがその最大手は大手百貨店の呉服部門であったという。
この中で呉服問屋は商社、プロデューサーの役割を果たしていたのだが呉服が廃れ、百貨店が弱くなるのとともに問屋も力を失い、数も減ってきた。現在は京呉服のビジネスは1980年代のピーク時に比べて20分の一の規模になっているという。
制作工程のそれぞれの作業を行う職人集団も以前は10人、20人と同じ加工を行う職人が集まり仕事をしていたものが、現在では2、3人というほぼ極限の規模にまで縮小されてしまっている。
製造工程が細かくわかれ専門化していることは大量に作る場合には適しているが今のような衰退期になるとその工程の一つの職人がいなくなってしまうと京友禅の制作の全工程が動かなくなってしまう。
そこで、京友禅の技術と職人を確保するためには呉服の仕事だけではなく新しい何かを商品化することを目的として出来たのがこの`そめてん`のグループである。
実はもう一つ、富山の方の伝統技術の継承に関する研究プロジェクトに関わっている。京友禅の場合も富山の場合も伝統技術の継承と活用がテーマだが少々ことなっているのは京友禅は積極的に新たな商品開発に展開しようというところに重点があり、富山の方は伝統技術の継承そのものに重点がある。
ただ、富山の伝統技術の継承のプロジェクトでも単に技術継承だけでは生きた技術の継承にならない、という懸念がある。
技術を生きたまま継承するには現代に通用し市場価値のある商品を作り出すことである。
京友禅と富山のケースの双方を見ていて感じるのは技術に関してはその価値を評価され技術保存のための施策があったりするが、技術を今に活かす手だてがまずは得られていない。
以前から技術を活かすにはどんな機能が必要か、考えていたのだが今回の友禅の勉強に出かけてわかったのは問屋構造に代わる機能がないことである。
技術が残ってもそれをファイナンスしプロデュースしていた問屋がなくなると市場、顧客とのパイプが切れてしまう。実は既にほとんど切れている。それに代わるものは商社だろう。それも大商社の必要はない。ある意味ではマーケティングプロデューサーとも言うべき商社機能を作ることができたら
これらの技術がまたビジネスプロセスの中で回りだすだろう。

ヨーロッパでは馬具、とくに乗馬の鞍などをもっぱら作っていたところが馬から車に移動手段が変わり、鞍など馬具の需要が無くなると、消えてしまった馬具やもあるだろうが、馬具やのなかにはその鞍を作る技術を使ってバッグ、トランクなどを作りファッションブランドに転身した例がいくつもある。
出来上がった製品であるバッグと鞍を見ている限りその共通点は簡単には見いだせ無いかもしれないがそのベースになっているのは革の扱う技術と縫製の技術である。
京友禅も呉服の染め技術という捉え方からそのエッセンスの染め、あるいは下絵のデザイン、高度な分業工程などの特徴を生かしてその上に新しいビジネスを生み出すことが出来るはずである。そのためにいま欠けているのは技術と市場をつなぐ企画能力を持った商社である。商社であるからにはファイナンス機能も必要でありこのような場は地方の金融機関が目をつけるところではないだろうか。

大学が教えること、学生が学ぶこと、企業が求めること

2011年11月25日

大学、学生、企業について前回の続きである。
この三つはあたかも相互関係があるがごとく、就職、あるいは就職率でつなげて論じられることが目立つ。
たしかに大学を出るとかなりの人が企業に就職する。だからといって大学は学生が卒業して就職する前工程であるわけではない。
なぜなら、大学には卒業したら企業に就職すること、などという条件は入学時に学生に課しているわけではないからだ。仕事に就く、あるいは働くということであれば義務教育を終えたら人はいつでも働ける状態にある。にもかかわらず高等学校に進学し、さらに大学に進学した後仕事に就く。そのように考えると実は大学に進むのは必ずしも仕事に就く前工程として進学するのではないと言える。
したがって大学で教えることは学生が就職するということと必ずしも結びつかねばならないということはなさそうである。大学卒業生の就職率が低いことと大学教育とを結びつけて議論することは必ずしも必要でなく、就職率はあくまで求人と求職の需給関係で決まって来るのであって大学の教育とはある意味で無関係であることをはっきり認識しておくべきだろう。そうでないと大学で教えることがあいまいになる。
企業は確かにコミュニケーションがきちんとできてチームワークもよくリーダーシップのある人材を求めているだろう。だからといってそれが大学の教育と一致しなければなら無い理由はどこにも無い。むしろ、これらの三つの要素が働くということで求められる基本素養であるならば中学を卒業するまでの義務教育の間に生徒にもたせるような教育をすべきだろう。
本来中学で学んで身に付けておくことが出来ていないからといって、大学で学ぶ4年間の時間を割いてその不足分を教育するのは大学として教えるべきことを犠牲にしていることになる。
大学は就職率などに惑わされること無く大学として何をどのようにして学生に学ばせるかについてさらに厳しく取り組むべきであろう。
自分は非常勤ではあるが大学で教える機会を得ている。担当している講座の講義の準備をしているとき、あるいは講義しているその瞬間にも自分は何を教えているのか、という疑問にぶつかることがある。教える機会を得てもう何年かになるが最近は講座のテーマを通じて考えるということ、考え方を教えたくて教えているのだ、と気がつき始めている。

大学で教えること、学生が学んだこと、企業が求めるもの

2011年11月22日

就職活動に絡んだはなしである。
大学で教えていることは主に学問、知識で理工系では技法も習う。
学生が学生生活で身に付いたと思っているとトップスリーは、
バイトを通じてチームワークを身につけ、お客様の重要性を知り、
クラブ活動を通じて人をまとめるというリーダーシップを発揮し
、そして海外旅行を通じていろんな人々とコミュニケーションが
できたこと、という。
つまり、彼らの教室はバイト先であり、クラブ活動であり海外旅行
である、
企業が求めるのはコミュニケーションの出来る人、仕事でリーダー
シップが発揮できる人、lそしてチームワークの出来る人、である。
企業側と学生との意識は一致している。ただ、大学だけがこれらとは
無関係なごとく学問を扱っている。 
どうも社会と学生の間で大学が遊離しているのではなかろうか?

円高ー通貨は商品では?(2)

2011年11月21日

円という通貨をドルで買える商品として見ることができるだろう。
円が商品であるためには円が商品として売買される市場が無ければ
ならない。さらに、当たり前のことだがその価格は市場での取引で
決まる必要がある。1970年代の後半に円が変動相場制になって
からこれらの条件がみたされることになった。言い換えればそのとき
から円は商品になった、といえるだろう。
さて、商品の価格は市場において需要と供給のバランスで決まると
考える。そこでは需要が供給よりも高い場合はその価格は上がる。
逆に供給が需要より多ければ価格は下がる。
普通の商品においては市場で取引される価格が高くなると、
つまり需要が供給よりも高い状態になると、その商品を供給している
ところは供給を増やすことによって需要を満たそうとする。なぜなら
供給が需要を上回らない限り売れ続け、売上げが上がり、利益増が
期待できるからである。
円という商品を供給できるところは日本銀行であるから、日本銀行だけ
が円を生産することが出来て供給することができる。但し、通貨の市場
には日銀以外の金融機関も参加できる。たとえば外国為替取引のできる
銀行で手持ちの円を持っていればそれをうることも出来、ドルを持って
いれば円を買うこともできる。従って市場のプレーヤーは中央銀行だけ
ではない。
通常、商品には在庫がある。従って需要が強くなるとまず、在庫分を
販売する。これは日本銀行が手持ちの円を市場に放出することが
これに該当する。
在庫が少なくなると通常のビジネスでは追加生産をする。
ただ、通貨の場合、円を売り出して需要を満たした後に手持ちが減ったら
円を買い戻すことが出来る。通貨には新品も中古も無いからこのような
ことが可能になる。ただし、この買戻し行為は時によってせっかく調整
した円の価格を自ら高くしてしまう恐れがある。そうなる危険性がある
ときには市場から買い戻して手持ちの円の在庫を補充することはでき
ない。多分、今の状態がその状況だろう。
そんなときに誰かが市場で円を買い始めると円は高くなる。
日本銀行としては手持ちの円の在庫が減っているときに円買いに
来られると在庫の放出だけでは円の水準を維持できないので、そのとき
には円を生産せざるを得ない。
普通のビジネスなら円という商品の価格が高い方向に進んでいて
手持ちの在庫が減りそうならあらかじめ円を増産する。
手持ちの円を放出するのは為替介入だし、円を増産するのは円の量的
緩和に該当する。
市場が日本銀行の円の手持ち残高、すなわち在庫高を知らなければ
良いが、どれだけもっているか判ればその持ち高を全部買い取るような
行動に出て円を高くすることが可能である。事実、市場は日本銀行が
どれくらい円を持っているか知っている。どんどん買い進められた段階
であわてて円を増産しそれを放出するとする。そうすると一時的に
市場に円が増えるから、そのタイミングを見計らって円を持っているところ
が一気に円を売りに出すと円は急落することになる。
市場の大きいさに比べて日本銀行の持っている在庫が十分大きければ
市場をコントロールすることは可能かもしれない。しかし、市場での円の
大きさがどれくらいあるのか判らないとこのコントロールも容易ではない。
そこで次に考えてみたいのは市場で売買可能な、つまり流動性のある
円の通過量はどれくらいあるかである。当然ながらその量は発行残高
よりも少ないだろう。

ザッケローニ監督の作戦と采配に喝采

2011年11月16日

サッカーの北朝鮮との試合、ザッケローニ監督の作戦は見事!の一言に尽きる。
ワールドカップ出場の観点から見て意味の無い試合だから無理をしない。
相手は無茶をしてくるのは見えているからそれに対して被害は最小限に留める。
極めて特殊な試合環境であることを利用して選手の精神面を鍛える。
などなど、
さすが、戦いには歴史のあるイタリア人。これが日本人の監督であたらこのような対処ができたかどうか判らない。
変にスポーツ魂にムキになってトップクラスの選手をつぎ込み怪我などさせてしまっては元も子もない。さらに言えば、面子を立てさせて一点だけ献上し北朝鮮の選手が炭鉱労働に放り込まれることだけはスポーツ仲間の友情として救ってやっている。実に素晴らしい監督ではないか。

円高ー通貨は商品では?

2011年11月16日

円高を議論するとき、為替市場におけるドルと円との交換レートに関してその変動について議論されている。
そもそも、円高のわかりにくさは高くなるというのにその数字は少なくなるところである。
先日、テレビで国会議員が二人出てきて、司会者が円高について質問したときそのうちの一人がとてもわかりやすい説明をした。
その議員いわく、‘リーマンショック前には日本は1万円札を10枚、USは100ドル札を10枚もっていた。そのときは1ドル100円だった。
ところが、リーマンショック後USは手持ちのドルの枚数をふけし続けて今では15枚もっていて日本は相変わらず1万円札が10枚。リーマンショックの前と両国が同じバランスだとしたら100ドル札1枚は7500円になっている、と言うのが現状。それを解消するには1万円札を5枚増やせばよい‘。
そこで司会者はもう一人の日銀出身の議員に聞いた。その議員は‘いわゆる量的緩和ですね。‘
せっかく一方の議員が判りやすく話しているところを金融専門語に置き換え結局話が途切れてしまった。
専門家が権益を守るひとつの方法に「その分野専門の専門用語を駆使して聞いている人の理解をしにくくする、と言う手がある。まさにこれである。
さて、通貨を普通の商品と思うとどう見えるか、つまり円を商品としてみたら少しはわかりやすくなりはしないか?というわけで、回を分けて商品としての円について考えてみる。
目的はそれによって少しでもわかりやすくならないか、ということである。

アラブの春が読売にも?

2011年11月16日

清武代表と渡辺会長の対立が球団の中の人事抗争として矮小化されて取り上げられているが、ひょっとして読売グループにアラブの春‘が訪れたのではないだろうか?
数年前の読売のパワーストラクチャーでは同じことが起きてもこんな抗争にはならなかったはず。もしこれが‘読売の春‘だとしたら、これからの展開に注目に値する。
単に球団の中の話なら春になれば消えてしまうだろうが、、、

庭の落ち葉

2011年11月13日

我が家にはほんの小さい中庭がある。そこに良く育った花水木が一本。
この時期になると一斉に葉を落とす。
先週一週間でその小さな中庭のタイルが見えなくなるほど葉が落ちた。
今朝、天気も良かったので久しぶりにその落ち葉の掃除をしてゴミ袋にかなり収まったので、朝から一仕事した気になった。
掃除をした後の中庭はテラコッタのタイルだけ、このときはじめて落ち葉の風情を感じて、全部掃きとったのは失敗、と思った。
夕方見ると、ありがたいことに10数枚の葉がバランスよく落ちていた。
ようやく季節感が戻ってきた。落ち葉も棄てたものではない。

転ばぬ先の杖

2011年11月12日

たとえばなしではない。自分の現実の問題認識である。年齢とともにいろんなところが衰えてくるのは仕方がないが、なんとか歩くことだけは確保したいと思っている。周りの先輩、そのほとんどは70歳以上、90歳前半あたりの人たちだが車椅子に乗っている人はやはり気持ちほどに動くことが出来ずに不自由に感じているようだ。
病気で車椅子に乗らなければならないのはやむをえないかもしれないが車椅子にのっている何人かの人は転んで骨折したりしたことが原因になっている。転ぶと言うのは大変なことである。そもそも体の柔軟性がなくなってきているから転んだときにうまく身体を動かし転ぶショックを少なくするなんて器用なことは若い頃で無ければ出来ない。
そんあとき、転び方が悪いと足腰を痛めてそれがきっかけで車椅子のお世話になってしまう。
転ばないように気をつけるのがまず大切なのだが、自分もそろそろ足の運びがスムーズではなく、疲れていると足首が十分機能せず足先が上がりきらず、階段をつま先でひっかけてしまい、ひやりとすることがたまにではあるが出てくる。
いまのところ、ちょっとつま先が引っかかるくらいだから良いが、これはころびの前兆だと思っている。
そこでひらめいたのは‘転ばぬ先の杖‘である。まさにこの言葉の通りそろそろ杖を持つか?杖といってもトレッキング用のストックもあるしいわゆるステッキもある。どうせなら気の効いたステッキがよさそうである。しかもそれなりの重さがあれば腕を鍛えるにもよいかもしれない。
さらに、ステッキの軸に細工がしてあって、ステッキのヘッドを回すと中が空洞になっていてなにか入っているのがいい。たとえば、スイスアーミーナイフを入れておけば何かと便利だろうし試験管のようなガラス瓶を入れられればウイスキーを入れておいて散歩の途中にたしなむことも出来る。
そのうち、転ばぬ前にステッキを持つようにしよう。だれかステッキを持って歩くとてぶらであるくよりも姿勢がよくなるとか運動に良い、とか言ってくれればそれを理由にすぐにでもステッキを持つのだが、、、、
ステッキを持てるのは高年齢者の特権である。高年齢者のファッションになると面白い。

冬瓜のスープ、この時期になると手をだしてしまう

2011年11月10日

ちょっと涼しくなり冬が近づくと冬瓜が気になってくる。
先週末、スーパーに行ったら冬瓜が売っていたので買った。
最近は切り売りをしているので便利である。とにかく、あの大きい
冬瓜を持って帰るだけでそこそこの労働だから。
買ったのは八分の一に切ったもの。140円。
家に戻ってさっそく干し貝柱を水に浸して戻す。半日はかかるから
実際に冬瓜のスープを作ったのは翌日。
出汁は干し貝柱をもどしたものと干しえびをもどしたもの。
この出汁でさいの目に切った冬瓜を煮れはできあがり。
極めて簡単なのだが、今回も思ったようには出来上がらない。
まず、出汁の生臭さが残っている。
つきになにか一味足りない。
シンプルで薄味のものほど思ったようには出来上がらない。
もう一度、いくつかのレシピを調べて手探りではなくキチンと
やってみなければ、、、、うまくいかないときは手直しをするより
出発点に戻ることにすべきだろう。