2013年4月23日
表現工学科 講義資料(3) 2013年4月23日用
思い出の中の廣󠄁瀬さん
2013年4月17日
テーマは最近の自分の生活パターンである。
一日忙しい日があると、翌日は動けない。忙しい、の定義は予定していないことが飛び込んできてそれを割り込ませて一日中いっぱいになった場合である。翌日動けないだけでなくてなにか一つ大事なことを忘れてしまっている。人とのアポとか期日がある振込とか、、、
最近二日続けて忙しい日があった。その後の二日間は動けない、というか何もやる気が起きない。気がついてみると三つも忘れていることが出てきた。ボケのせいにしてしまうのは簡単だが、何もやる気が無い日はパソコンに向かわない。メールを見ない。見ても形式的に処理していて考えていない。当然カレンダーも見たくないから開かない。従って、忘れごとが出てくる、というわけである。
どうすれば忘れることを防止できるか、その防止策ですら忘れてしまいそうで悩ましい。
2013年4月11日
ニューヨーク州の刑務所の話である。
刑務所に入っている受刑者が刑期を終えて社会に出てもまた戻ってくるケースが多いという。
特に若年受刑者にその傾向が強いという。
刑務所に収容するにはそれだけのコストがかかるので出所後に犯罪を起こし、また戻ってくるケースが多いとどんどん収容しなければならない受刑者が増えてくる。
この再犯受刑者が多いことがニューヨークの刑務所の問題であり、費用の点からはニューヨーク州の負担である。ところが、受刑者に対して再犯防止の研修を提供しているNPOの研修受講者には再犯で戻ってくるケースが少ないというのでこのNPOの研修が注目されている。ただし、このNPOの研修を提供してもらうにはそれなりの費用がかかる。
そこでゴールドマンサックス(以下GS)が考えたのはHPOのサービスを投資の対象と考えてNPO活動によって減った再犯受刑者から生み出されるニューヨーク州の費用の節減のある割合をリターンとして受け取る投資プログラムである。
その投資プログラムとはl、GSが資金を提供してNPOを雇う費用を州の刑務所の運営を担当する部局に提供する。部局はその金でNPOを雇う。NPOは受刑者に対して研修を行う。その結果、再犯で戻ってくる受刑者の比率が下がって、州の部局の予算が節減出来た金額の割合に
応じて、GSはリターンをもらう。
つまり受刑者の再犯率を対象にした投資プログラムである。
一見GSには担保が無いように見える。ところが、このニューヨーク州に限ってはニューヨーク州知事のブルーんバーグの個人財団がGSの提供した金額の75%を保証している、というわけである。
なにかおかしくないだろうか?
本来ならば、犯罪発生を抑えるように社会としては投資すべきではないだろうか?
しかし、犯罪を抑制したからといってGSにとっては投資モデルとならないので
犯罪者の再販を抑制するプログラムを投資対象にしているのである。
これでは、犯罪者が増えれば増えるほど再犯防止プログラムによる効果は上がり、その結果GSの投資はたくさんリターンが取れるようになる。
見たところ最もらしいが、どうも釈然としなくはないか?いかにもGS的だが、、、
2013年4月 9日
今年も、今日、2013年4月9日(火曜日)から
早稲田大学の表現工学科での講義をはじめます。
講座のタイトルは6年変えに始めたときから変わらず
「コンテンツ、クリエイティビティ、ビジネス」です。
ただ、例年通り,内容は毎年変化しています。
第一回の講義の資料を添付します。
2013年4月 6日
今年で、平均寿命に手が届く年代に入った。
さて、これからどうするか、と考えはじめたときに気がついたことがある。
先を見ようと思ってみたら、自分の人生,見ているものは時間のバックミラーに映っているものばかりが見えているのである。時間の後ろは見えているが前は見えてない、こんなことに今頃気がついた。
目の前に見えているものは時々刻々過去になって行く姿かたちであり、決して先が見えている訳ではない。スケジュール表を見れば確かに向こう何週間かの予定が書き込まれている。
しかし,それは予定されている行動であって、その行動の結果は何も判らない。
行動して,結果があって、その結果が次をもたらすのだからスケジュール上に予定が書かれているといっても先が見えているわけではないのである。
そうなると、バックミラーに映っている過去からこれから先に向けて一体なにが判るのか,何が類推できるのか、何が予測できるのか、、、それに重要な意味があるように思えるし、それしかこれから先をしる手がかりは無い。
そうおもってこのところバックミラーに映っている過ぎて行く過去の様子をみていると,映っているものがどんどん変化している。どうも去年から今年はある種のターニングポイントに来ているのではないか,という気がしている。
どんなターニングポイントなのか,もう少しバックミラーに映るものを丁寧に分析してみると浮かび上がってくるだろう。
過去の分析は意味が無いと思いがちであるが,これから先を知るために持っている情報は
過去の事実だけである。過去の事実を見据えることによってこれから先が見えてくる。その意味で,過去を知ることは大切である。
2013年4月 4日
ごく最近、こりもせず語学テキストを買った。
フランス語、イタリア語、スペイン語が同時に学べる本、というタイトルの語学テキストである。
このことを先日フェイスブックに書いたら、親切な友人が二人、コメントをくれた。
ひとつは、「二兎追うもの,一兎をも得ず。まして三兎なんて、、、」というコメント、もう一つは「語学にには王道のみ」というコメント。
私の友人にもまっとうで親切な人がいることを実感した。ところが、わたしのもくろみは、、、三兎を追うのだから二兎は逃げても一兎はつかまるだろう。この三つの中で学びたいのはイタリア語だから、、、、
世の中たしかに王道は確実であるが、王道は一つしか無い。それに対して抜け道や裏道は沢山ある。語学にも抜け道、裏道がるのではないか、、、
こんな気持ちでこのテキストに手をだした。
伊藤大吾著、ナツメ社出版、1830円+税
そもそも、急にイタリア語をかじりたいと思ったのはテレビで新しく始まったシシリアの刑事物語を見てからである。この番組,とても面白い。最近流行の科学的捜査ものではなく、完全なる人間浪花節的捜査物語である。話されている言葉は純粋のイタリア語かどうかわからないがとても歯切れがよく、聞いているとけっこう知っている単語が出てくる。
そこで,少しイタリア語を知ったら番組をもっと楽しめるのではないか,とおもったのがきっかけである。
本屋で最初はイタリア語のテキストを探していた。定番の某放送局のテキストは買った。
その,探しているときに目に入ったのが上記の三か国語が同時に学べる、というテキストである。もう,残り時間は限られている年齢なので、これは素晴らしい!と思って購入した。
4月1日からテキストに取り組んで昨日で三日たつから今日取り組めば三日坊主ではなくなる。
ところで、このテキストを見ていて気がついたことがある。このテキストは語学テキストでありながら、ラテン語をそのルーツとする三つの言語の比較言語学のテキストであることが判った。
そこで、もう既に初期の目標は半分放り投げているのだが、イタリア語を習得する目的からいまや比較言語学が学べる、という勝手な目標に変更している。
イタリア語だけではたいしたうんちくにはならないが,三か国語の比較の話題ならうんちくにもなりそうである。