疑問の目ー最近の円安傾向

2014年9月17日

円ドルレートがとうとう107円半ばにまで下がって来た。
ほんの一ヶ月前は102円あたりで、この水準が比較的長く続いた。
それとともに株価もじわじわ下がり、15000円を切れて瞬間的には
13000円台にまでさがってきていた。
ここに来て、1ヶ月足らずの間に5円以上下がって107円半ばの水準である。102円だったのが107円になったのだから5%近くも円の価値がさがったというわけである。この一ヶ月間でなにかこんなに変動する要因はなんだったのだろう?
消費税アップの後の経済状況で、4月から6月のGDPの数字が悪く、さらに企業の設備投資は前年比でマイナスであった。
目前に控えている消費税の再値上げの判断が迫られているこの時期に、経済状況か良くないのは消費税値上げの先送りの判断を迫られる状況にもなりかねない。
それを恐れるのは財務省関係と消費税アップ派の新任の自民党幹事長だろう。
すなわち、消費税の再値上げを可能にするにはとにもかくにも経済の数字を良くしなければならない。
景気が良くなっているということの世間への一番の見せかけは株価の上昇である。株が上がれば時価総額が増える。企業収益に関係なく株価を改善するには円安にすればよい。株価をドル建てで見ると、円が下がれば株価は上がり、円高傾向になれば株価は下がる。
つまり、円安にすれば株価は上がり、見たところ景気がよく見える、というわけである。しかも、株価は円の変動に対して加速度的に反応する。
つまり、おなじ5円の円安でも短期間に円が下がれば下がるほど、株価は急激に上がる。
それでは、なぜ、この時期に円を下げるのか、というと今、7月から9月の三ヶ月間の経済統計集計の最終月である。ここで景気指標を押し上げておけば4月から6月は消費税の影響があり経済は低迷したが7月から9月は株価にも見られるとおり、経済は力強く急速に回復基調にある、といえる、いや、言えるようにしたい。そうすれば消費税アップの判断が出来る。
こんな発想で円の価値を操作しているのだとしたら、、、、円の発行高を増やせば十分可能であり、これまで現政権がやって来た事だから、今更この手の通貨の操作に逡巡することはない、というわけではないか?
さて、消費税を上げるのは来年度である。この手はいつまで通用するのか?
もちろんそれまでに実体経済が浮揚してくれるに違いない、とねがっているのだが、、、、そうでなければ何回か、消費税を上げるまでこの手を使わざるを得ないことになるだろう。そして、消費税をあげたと同時にこの通貨操作をストップしたら、、、、、株価は加速度的に反応する、と書いたが今度は逆の加速度がはたらいたら、、、、、、、いつか来た道の暴落!である。
時期的には2015年の下半期から2016年度の上半期か?
2016年の8年前は何があった?   リーマンショック。
その前の2001年は?        ハイテクショック
其の8年前の1993年は?      国内バブルのはじけたとき
その前の1986年は?        ブラックマンデー         
2015年〜16年がこれまでの繰り返しの波に乗らない事を祈るが、、ちょうど来日しているクルーグマンはどう見ているか?インタビューの内容に要注意である。
2012年から上がりだした株にこれからの人生の糧である退職金をつぎ込んで買っているのは団塊の世代である。
この人たちが、サブプライムローンでスイートホームを買った庶民が貧困層に突き落とされた2008年のようなことにならなければよいが、、、。

事実と主張、論評

2014年9月16日

このところ新聞テレビをにぎわしている、朝日新聞の件に絡んだことである。
今回の件は新聞とかテレビの報道番組とかの在り方を見直す良いきっかけになれば結果的には良かった、という事になる可能性もあるが、、、、
そもそも、メディア全般というよりは新聞について考えるとこんな事が言えるのではないだろうか。
新聞に期待しているのは、出来るだけ信頼できる事実を伝えてもらう事と、さらに其の事実について、新聞としての見方、意見を知らせてもらうことではないだろうか?
同じ事実を取り上げても新聞によって主張が違うであろうことはわかっている。ところが、事実そのものの伝え方の段階ですでに事実のなかから主観的に取捨選択した部分だけを伝えられると、事実そのものの姿がわからなくなる。
よく政治家が、マスメディアは自分たちの都合のいいところだけを切り貼りして伝え、発言しているこちらの趣旨、全体像は伝わらない、とか言っていることがある。
事実を取捨選択して自分の主張に都合の良い部分をもっぱら事実としてならべ、それにたいして、それぞれの主張をする、というのがこのかたちであろう。
もちろん、客観性薄く伝える側の都合の良い事だけをハイライトして使えるというところに既に読者から見ると問題があるのだがそれでも、都合良く並べられたとしても、其の並べられた断片は事実である。並べ方によって見え方が変わってしまったとしても、である。
ところが、事実だ、と称して並べられた事が既に事実ではなく、ある意味で伝える側が主張したい事を事実に見せかけて並べられてしまうと、その後の主張のところで其の事実を追認するがごとく繰り返されたら、其の主張は事実に基づく、事実を素直に眺めた事から生まれる、みたところ妥当性のあると思われる主張となる。
読んだ方は、事実であり、それを半ば繰り返しているようなものだから、もっともなことだ、と其の書かれた事を疑いも持たずに信じてしまう。
この、事実であるがごとく見せかけて、送り手の都合の良い主張を織り込む、ということになってしまうと、事実が何なのか、分からなくなってしまう。事実を誤認させるための手段としてこれまでの新聞のもつ信用を逆手に利用された、とおもってもしかたがないだろう。
今は朝日新聞のことがとりあげられている。しかし、事実として書かれるべきところを主張をあたかも事実のように見せかけて発信されているようなことは他でもあるのではなかろうか?こう思うのはけっしてじぶんだけではないだろう。幸い、ネットの時代になって今や情報源は新聞、雑誌、テレビだけではなくなった。
ネットの場合は聴き手が送り手にたいして、本当か?と問いただす事も可能な仕組みになっている。今回の問題は結果として、朝日新聞だけでなく、他の新聞も含めてすべての新聞に
たいしてほぼ確信的な疑いをいだいてしまったのは自分だけではないだろう。
一度失った信頼を取り戻すには時間がかかる。ひょっとしたら新聞業界にとっては信頼を取り戻すのに必要な時間は、もう、残っていないかもしれない。

和服の古着屋

2014年9月11日

今日はほどよい天気だったので、昼前から佃島まで出かけた。
ついさきごろ佃煮が食べたくなって近くのスーパーで買ったのを
食べたところ雑魚の佃煮がたべたくなり、久しぶりに佃島の佃煮屋
まで足をのばした、というわけである。
足をのばしたといっても地下鉄の乗り換え一回で30分で行ける距離にある。
お目当ての佃煮が買えてご機嫌なところ、天気は絶好の散歩日よりなので佃島の中をうろついていたら間口一間半たらずの小さな和服屋があり、古着も扱っていたので覗いてみたくなり入ってみた。
古着は買い集めたところから仕入れてくるのだろうか店の場所、店のタイプでそれぞれ特徴がる。最近は古着ブームだから大手古着屋のチェーンの店があったりするのでだいぶん事情が変わってきたものの、個人がやっている店ではその土地柄と店の主人のタイプで品揃えに個性が出る。
その店に入ったひとつの理由は佃島という場所柄、粋な柄の古着があるのではという期待があったからである。もちろん、行きずりの店だから買うつもりもないし、冷やかしのつもりで入った。
ところが、予想が当たったというか期待通りというか、何着も積まれた古着のなかをパラパラのみているところで、細かい亀甲の結城紬を見つけてしまった。
色合いといい、織りの模様とその細かさといい、さらには少し着こなされた風合いといい、とても味わいのよいものである。
もちろん、女性ものなのだがこのレベルの結城は男女を選ばない。男物にし立て直せば良いし、女物の方が洒落た柄と色合いのものがあるので、男物に仕立てたときには粋な感じに仕上がる。
しばらく眺めて店主とおしゃべりなどしていたのだが衝動買いに至らず、店をでた。
まさに、後ろ髪を引かれる思いで。

今日の代ゼミは明日の大学

2014年9月 9日

少し前のことになるが、代々木ゼミナールが全国に29校あった施設を
22校閉じて、7校に削減し、しかも東京、大阪など大都市の校舎のみ
残すことを決定したという。なんと、数の上では7割の削減である。
もっぱらの反応は受験生の減少による事業規模の縮小ととらえ、少子化の影響オガここまでに及んだ、という感じだが、、、、
このニュースを聞いてドキッとしたのは、数年後ではなく、すぐ近い将来の大学の姿が想像できたからである。
さて、代々木ゼミナールは22校閉じたが、閉じた数に比例して予備校生は減るだろうか?
ほとんどの閉じられた施設は地方あるいは首都圏近郊である。、
代々木ゼミナールは閉じた校舎の代わりにネットを通じてのサービスを提供するように考えているのなら、さほど予備校生は減らない可能性がある。しかし、一方で確実に減るのは講師の数である。
予備校生にとって、ネットを通じてトップクラスの先生の講義を受けられるならそのほうが良い可能性は十分ある。
今回の代々木ゼミナールの事業規模縮小で最も影響を受けるのは閉校となるところで教えていた講師たちだろう。
さて、これと類似のことが大学の環境で起こるのは明らかである。大学は閉校してしまうのか、あるいは合併するのか、、、、1990年代から進んできた産業のリストラと同様なことがとうとう、まもなく大学の世界でも起こる。一方、大学の世界ではmoocをはじめとしてネットを活用した講義の配信がどんどん広がろうとしている。多分大学の世界のリストラはこのネットでの講義の配信の進み具合と合わせて進んでいくだろう。
そこで、リストラの対象となるのは、大学教員と大学職員であることは明らかであり代々木ゼミナールほどのドラスティックな変化が起きたら、、、、とんでもない数の教員、職員がリストラに会う。しかも、大学はある意味で情報サービスの塊である。その意味でネットにはとても親和性が高い。その世界で生き残れるのは予備校の名講師だけが残るであろうと思われる
のとおなじで、名教授、名教員しか残らない可能性が大である。
大学の教育という機能はこのような影響が起きるのが見えている。、そのとき、大学のもう一つの機能である研究という部分はどうなるか、まだ、予想はつかない。
この部分は産業界のリストラではそれほど経験のなかった分野である。