2010年2月15日
あいかわらず、小沢、鳩山のお金の話題でマスコミは持ちきりだがオリンピックで少しは変わるか?
今年は確定申告で鳩山流、小沢流の工夫をする人が激増するのでは?
もっともそれほど金持ちはたくさんいないかもしれないが、、、
数、力、金
これははるか昔、小沢一郎が師と仰ぐ田中角栄のことばである。
田中角栄いわく、
政治は数、数は力、力は金
つまり、政治の目的は金である、ということを正直に言っているのである。
その第一である数を取るには金が要る、というわけである。
金によって数をあつめ、数が集まると政権と言う力を手に入れ、力が得られたらそれを金に変えるのが政治、というわけである。判り易すぎないか。
ところで、数、力、金というつながりをみて、なにか、最近の風潮でピンとくるものはないか?そう、インターネットの世界の‘タダ乗り‘論である。
タダにすれば数が集まる。ビュー数という数があつまればそれがパワーになりそこにただ数だけを頼りにして広告を入れる広告主がいて、結果はタダで集めたところに金が入る、と言う話である。比較的格調の高い某経済週刊誌でも取り上げざるを得ないくらい最近の話題のようだ。まさに数年前に熱く盛り上がったセカンドライフを思い出させる。
ほとんどの人は、セカンドライフってなんだったけ?というかもしれないが、、、
インターネットの世界の面白い特徴は数の議論は得意だが質の議論はあまりされない。たぶんまだ質の議論をするほどこの世界が成熟してないからだろう。
ところが最近質の議論がちらほら、出始めている。数週間前に会った広告関係の人とネットの広告が話題になったとき、この人いわくネットの広告主もだんだん賢明になってきているよ。広告を出すメディアの量だけ出なく、信頼性ということも気にし始めている。いくら数が集まっているからといってタダのサイトに集まっている人たちは所詮ものにお金を払う意識の少ない人たちだから、こんなところに広告を出しても意味が薄いことに気がつき始めている、との発言。たしかに砂漠に水をまいたところで花が咲くわけでなし、なるほど、なるほどと聞いてしまった。
どうも今年はこれまでタダだったものがお金を取るようになるスタートの年ではないだろうか?
インターネットに限らずメディアとそこから提供される情報の信頼性、ある種の質、について情報の有料化とともに議論となりはじめるだろう。
情報にお金を払うと言うことはその信頼性と希少性に対してはらうことであり、よく言われるデジタル化されたものは限界コストはゼロだからタダでいいのだ、という議論で無視されている初期投資コストを負担することにより情報の再生産を可能とすることである。
言ってみればインターネットの世界も焼畑農業の世界から次の段階に進化しようとしているところである。
さて、政治の世界に戻ったとき、数を集めるための金を寄付した奇特な人たちは政治プロセスの再生産の結果としてやはり寄付した以上のお金が戻って行ったのだろうか?