2009年12月24日
池波正太郎の銀座日記。読み始めてだいぶ時間がたっているが
そろそろ終わりに来た。著者の日記の年齢とわたしの年がほぼ
同じになってきた。
朝、読書をする習慣がある。
それも二箇所で、、、起きてすぐは机に座って比較的まじめに読む本を
ひらく。もう一箇所は風呂に入りながら、である。
風呂のある場所が東に面していて朝とても明るいので読書には最適
だとおもっている。はじめた理由はそもそもカラスの行水タイプの入浴
を少しでもじっくりからだを温めるため本を数ページ読むことにした。
現座日記はそんな読み方をしているが、そろそろ終わりに近づいてきて
いる。
著者の年齢とわたしの年齢が重なってきた。
このところ日記に現れる話題は食べ物よりも池波正太郎の知人の
死とその思い出話が多くなってきた。たしかにこの年になると周りでは
毎月誰かが亡くなっていく。
特に今年はその感の強い年だった。
音楽業界では高名な作曲家、作詞家の先生が何人も亡くなられた。
わたしも仲のよかった友人を二人なくした。
このふたり、いずれもわたしよりも年下で、それも突然死である。
二人とも感性の強い人でいずれも世の中のひとつの時代を作り出した
人であった。この二人を思い浮かべてある意味でめぐまれているな、と
おもうのは二人とも世に作品を残しているところである。
世に何かを残す、ということはサラリーマン経験ではなかなかできない
ことなのである意味、うらやましい。
二人とも年末にはそれなりの忘年会をしていた相手であるから、今年の
年末はなにかさみしい。