オンライン・ジャーナリズムとメディアの未来(2)

2010年9月 1日

フォーリンアフェアーズレポートのなかの首記の記事の中の、
前回積み残したトピックスを紹介する。
読者の参加、コメントについて
このことで常に議論になるのは読者の書き込みによって炎上する恐れである。これはメディアの発信側で特に強い。
この記事の対談の中でも取り上げられていて、無責任な無記名コメントは読むに耐えない、読むとモラルを下げてしまう、という議論から始まり、結果としてこの対談に参加しているメンバーのかかわっているメディアでは、書き込みできる人を会員制にして本名で書き込みをさせている。
これについては日本では本人の記名を求めると書き込みされなくなる、と言う懸念を示す人が多いが、責任を持った発言、自分の発言に責任を持つということから真剣なテーマについては記名投稿は当然であろう。
どうでもよいような内容のサイトに無責任に書き込むのなら誰も真剣に見ないからどうでもよいだろうが……。
将来のメディアのビジネスモデル
米国でもオンラインメディアをビジネスとして運営していくことは難しそうである。
この対談では二つのモデルが提案されている。
ひとつはそのメディアのテーマに賛同し関心のある人たちからの寄付による運営である。
米国にはパブリックテレビという公共チャネルが各州に存在し、これらは寄付によって運営されている。その歴史があるのでこのモデルが出てきているのだろう。
メディアが商業主義に陥らないように、と考える企業・個人が寄付をしている。
今後は日本でもその可能性を検討してみる価値はあるのではなかろうか。
二番目のモデルは広告モデルである。
従来型のメディア運営をしているとなかなかそれに見合う広告収入を得るのは、大変だろうがメディア事業のデザインを思い切って変えてみるとそれなりの広告収入で運営できるのかもしれない。
ワシントンポストが運営している三つのサイトはいずれも広告収入で運営できているそうである。
最後にSNSに言及
SNSについてTwitterとFacebookが取り上げられていて、これらをいかに効果的に活用するかが今後の課題である、とされている。
Twitterは日本でも急速に普及しているがFacebookは今ひとつぱっとしない。
そのバリューをわかりやすく伝え、プロモーションをする人がいないからではないか。
あるいは日本人は顔をさらすのがいやなのか?
もし、そうであればコメントを実名入りで書かせるという方法は文化的な難しさが日本にあるのかもしれない。
逆に考えると、記名式が普及すれば堂々と自分の名前を出して意見を述べよう、という人にとってはチャンス到来である。

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