CSI:科学捜査班

2010年9月13日

かなり以前からはまっているテレビドラマのシリーズにアメリカの捜査モノドラマのCSIシリーズがある。
シリーズは三つの作品系列、ラスベガスを舞台とするCSI:科学捜査班、ニューヨークを舞台にするCSI ニューヨーク、マイアミを舞台にするCSI マイアミから構成されている。いずれも、徹底した科学捜査から物証をたたき出し犯人を追い詰めていくドラマである。
ドラマとしてのスピード感も面白いが特に興味があるのは物証をたたき出す科学捜査の技術と目の付け所である。そのCSI的な発想で今話題の事件を見てみる。
押尾学の裁判が進行しているがその証人尋問で弁護側の医師の見解と検察側の医師の見解がまったく違っていた。
そもそもこの事件のベースとなっているのは薬物中毒によって死亡した女性に関して、そのときそばにいた男性が救急通報をしていたら助かったかどうかということと、その女性の服用した薬物は男性が提供したものかどうか、という二点に集約されるだろう。先ほどの
医師の見解の対立は救急通報をしたら助かったかどうかという中毒症状がでてから死に至るまでの時間についての見解の相違である。十分な時間があったから助かったはず、というのが検察の見解であり、救急通報をしても間に合わなかった、というのが弁護側の主張である。
もうひとつは服用した薬物は男が渡したものか、あるいは女性がもっていたものか、という点である。
報道の弁護側の説明によるとその日は女性が‘新しい良く効くのが手に入ったから‘といって持ってきたものを服用したので被告が持っていたものを与えたのではない、と主張している。
さて、そこでCSIならどんなアプローチをとったであろうか?
まず、女性は司法解剖されたはずである。その過程で当然ながら血液の分析をするだろう。血液分析の結果薬物の存在がわかり、その薬物の混じった血液はスペクトラム分析にかけられ薬物のスペクトラムが特定化される。
また、捜査段階で被告が所持していた薬物を押収しているか、あるいは薬物提供者がわかっているので、その提供者が被告に提供したのと同じ薬物を手に入れているだろう。
一方でもし、女性が所持していたといわれる薬物が押収できていれば万全である。
女性の血液から得られたスペクトラムと被告から押収した薬物のスペクトラムと比較して同じスペクトラムであれば女性に対して被告が薬物を提供した可能性がでてくる。
さらに、女性の所持していたといわれる薬物があるのであればそのスペクトラムと被告の所持していた薬物のスペクトラムが同一かどうか分析してみる。そこで二つのスペクトラムが違っていて、さらに女性の持っていた薬物のスペクトラムと女性の体内から出た薬物のスペクトラムが同じであれば、被告の主張どおり女性が自分で持ってきた薬物を自分で
服用し中毒になった、と推論できる。
ところが女性の体内から出た毒物のスペクトラムと女性の所持していた薬物の巣ペクトラムとがことなり、体内から得られた薬物のスペクトラムが被告の所持していた薬物のスペクトラムと同じであれば明らかに被告が女性に薬物を提供した、と推論できる。
このような分析が出来れば被告の主張が正しいかどうかの判断の資料が出来る。
次に、医師の死に至る時間の見解の相違であるが、それは服用した毒物の量によってことなるのではないだろうか?女性の血液を調べればどれだけの量の薬物を服用したかわかるであろう。その量が多ければ死に至る時間は短いだろうし少なければ長いだろう。
医師の証言で、毒物の服用量がどれくらいであったから、このように推測するといったような発言があったのかどうか、興味があるところである。
CSIのドラマの中の科学捜査はあくまでドラマの中のはなしにすぎないかもしれない。しかし、爪楊枝の先の一片、一滴の血液からいろんなことを洗い出していく捜査のアプローチが本当に可能であればこの種の犯罪の捜査にはとても強力であろう。

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