2010年12月25日
最近、単行本の新本というか、新本流れが安く買える。もちろん、例の店で、である。
ごく最近見つけたのは角川書店出版の‘王子と乞食‘。マーク。トウェインの初版本の挿絵をいれた慎訳本である。
物語は16世紀の半ばのロンドン、下町の貧乏人に一人の男の子が誕生、ちょうど同じ時に貴族の家には王子が誕生。
何年かたった後、二人が顔をあわせてみると王子と乞食の身分の違いはあれ二人はそっくり瓜二つ、そこで 王子と乞食はその身分を入れかわったが、、、という名作である。
これをキリストの誕生の夜も読んでいて突然頭の中に浮かんだ妄想がある。もし、キリストにそっくりのもう一人が存在していたらどうなるだろう?この王子と乞食のように、、、
妄想はこんな風に広がる。
ベツレヘムの馬小屋でキリストが生まれたとき、東方の三博士は流れ星をみてそれをたどって馬小屋を見つけ、キリストの生誕を祝ったのだが、実はそのときの流れ星はひとつではなくてふたつだった。
三博士の一人は流れ星が二つであった事が気になっていたのだがとりあえず三人はひとつの方向に進み馬小屋を見つけイエスの生誕を祝ったのであるが、、、
先ほどの博士の一人は相変わらずもうひとつの流れ星の事が気になってあたまから離れなかった。
誕生から何年も経過し、イエスが布教活動をはじめたころ、偶然にもこの博士はある村で自分達が生誕をいわったイエスとそっくり瓜二つの男がいることを発見。
その発見はイエス本人には知らされず、博士は弟子の一人にこのことを話す。
それから時がたち、イエスは弟子とともに布教活動を拡大するのであるがその活動の中ではイエスが遠く離れた場所であるにもかかわらずほぼ同時に現れたり、活動したり、、超現実的な活動が見られ始め、その超現実的現象が評判になる。
それらの活動の結果、ある日罪をとわれ、処刑される。
公衆の前で処刑され死に絶えたはずのイエスは何日か後に人前に登場する。
これが有名な復活である。
処刑され、死んだ人が復活した事でイエスはここに神格化される。
ところが、処刑されたイエスが死んだ事は事実として、この復活したイエスは弟子の一人が長年影としてかくしていたイエスをあたかも復活したごとく登場させてイエスの神格化を演出した、という事は考えられないだろうか?
こんな事を妄想しながら今晩も‘王子と乞食‘を読んでいる。
私ごときが思い浮かぶ事がイエスに関しての議論としてこれまで世の中にでてきていないということはますますこの妄想の真実味を高めてはいないだろうか?
もし、イエスそっくりのもう一人が存在し、処刑後に復活を演じたのであればだれか演出家が必要である。多分弟子の一人だろう。それではその弟子は誰なのか?さらに復活した演技をしたもう一人の男はその後どうなったのかなどなど、気になる事はいろいろありそうである。