デジタルブック 教科書の電子化

2011年6月28日

昨日、ある集まりに参加していたら教科書とか絵本の電子化が話題になっていた。
さすがにその道のエキスパートの人たちの会話で、紙の本を単に電子化したのでは意味が無いのではないか、なにか新しいことができるはずだが、、、、という議論だった。
まったくその通りだとおもう。文学のように紙に書かれたもので著者のかいたものを尊重するいみでできるだけ忠実に電子ブックのコンテンツ化を図るものもあるだろう。
しかし、新たに作る、ということができるもの、たとえば教科書とか新たに作る絵本だとかはどこかに紙を越えたコンテンツとサービスを作り出すチャンスがありそうである。
おおよそ、古いメディアのコンテンツを新しいメディアに移し変えるとき、たんに移し変えただけでは新しいメディアの持つ価値を限定的にしか活かすことができない。それだけでも十分価値があることもあるがやはり新しいメディアには新しいかたちのコンテンツがベストだろう。問題はそれを考えるときにどんなアプローチをすればよいか、ということではなかろうか。
わたしは、ひょっとしたら一つ前のメディアの時代のことを考えてみるとそのヒントがみつかるのではないか、とおもっている。
絵本とか教科書であればそのひとつ前のメディアの時代、つまり紙が無かった時代を思い浮かべてみる。そのころ母親は子供になにか教えるときどうしていたのだろうか?父親は息子に何か教えるときどうしていたのだろう?
母親は多分伝承されているお話を子供に話してきかせていただろう。その話を聞いて子供は母親に‘なぜ‘とか‘どうして‘とかの質問を連発していたに違いない。
そのとき母親は子供のなぜについて丁寧に答えて教えていたのではなかろうか。
ネットのメディアとしての最大の特徴は対話能力である。紙のメディアにいろんなものが印刷されるようになって変わったのは印刷されたものの範囲を記憶し,理解する、つまり人と対面関係で教わるのではなく髪に掛かれたものを読み解くという形になっているのが現在である。
インタネットの機能をうまく活用すれば紙の時代には希薄になっていた対話に重点をおいた教科書が望まれているのだと思う。

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