2011年11月16日
円高を議論するとき、為替市場におけるドルと円との交換レートに関してその変動について議論されている。
そもそも、円高のわかりにくさは高くなるというのにその数字は少なくなるところである。
先日、テレビで国会議員が二人出てきて、司会者が円高について質問したときそのうちの一人がとてもわかりやすい説明をした。
その議員いわく、‘リーマンショック前には日本は1万円札を10枚、USは100ドル札を10枚もっていた。そのときは1ドル100円だった。
ところが、リーマンショック後USは手持ちのドルの枚数をふけし続けて今では15枚もっていて日本は相変わらず1万円札が10枚。リーマンショックの前と両国が同じバランスだとしたら100ドル札1枚は7500円になっている、と言うのが現状。それを解消するには1万円札を5枚増やせばよい‘。
そこで司会者はもう一人の日銀出身の議員に聞いた。その議員は‘いわゆる量的緩和ですね。‘
せっかく一方の議員が判りやすく話しているところを金融専門語に置き換え結局話が途切れてしまった。
専門家が権益を守るひとつの方法に「その分野専門の専門用語を駆使して聞いている人の理解をしにくくする、と言う手がある。まさにこれである。
さて、通貨を普通の商品と思うとどう見えるか、つまり円を商品としてみたら少しはわかりやすくなりはしないか?というわけで、回を分けて商品としての円について考えてみる。
目的はそれによって少しでもわかりやすくならないか、ということである。