2013年3月 6日
メディアはときに宗教であり、宗教は明らかにメディアである。
20世紀の最大のメディアはテレビだろう。
大宅壮一が言ったように、テレビが国民総白痴化を推進したとしたらあきらかにそれは宣教的活動であり、白痴化宗教だろう。
もっとも、テレビを見る人がどんどん減っているのはその宗教パワーの減退現象だが。
似たような意味で、携帯電話は宗教である。いつでもどこでも誰でも使えるが故にてエビよりもずっと大きく影響力のある宗教である。
宗教とは頼りにし,依存し,救いを求めるものであるとすれば、今のちまたの携帯電話利用者を見ているとまさに、携帯電話を頼りにし、携帯電話に依存し、携帯電話に救いを求めるがごとくアクセスしているからである。
街中で、いかに混んでいようと突然立ち止まって操作したり、周辺の歩行速度とは無関係に歩きながら携帯電話を覗き込んだり、、、、電車の乗り降りの際にも、ラッシュ時など気にもせず携帯電話に見入ったままのろのろと乗降しているとか、、、
交差点とか電車の中をみていると周囲とは無関係に携帯電話の画面に目が張り付き視線が固まっていて指だけが動いている、、、、いかにも信者が教祖様のお告げに見入り、聞き入っているさまである。
だれか、携帯電話でメッセージをやりとりしているトラフィックの間で割り込んでメッセージに手を加え、宗教的お告げのメッセージなどを挟み込んだりしたら、、、こんな宣教活動を考えつく宗教があったとしたらまさに携帯電話は宗教になるのでは?