2013年3月12日
この週末に、新聞に関して気がついたことがある。
自分の新聞の読み方がすっかり変わっているのである。
記事は主にその見出しだけを見る。上手に見出しがつけてあったら
それだけで十分内容を推測することが出来る。
その他では広告を見ている。意外に丹念に見ている。
二つの新聞を取っているのだが、広告が重なるところがとても
少ないのが面白い。
確か,半年くらい前はきっちり記事を読んでいた記憶がある。
最近は,見出しを見れば十分で内容はたいしたことはない記事が
ふえたのだろうか?
そうではない。
気がついたのは,実は記事の本文の文字が目が悪くなっていてとても
読みづらいのである。だから、見出しとか,広告とか,文字の大きい
部分しかみなくなってきている。
新聞はネットに変わって行く,と言われているがある年齢から上の
人たちにとっては生活の習慣となっている新聞は簡単にやめられるもの
ではない。
高齢の読者はどんどん目が悪くなって行くだろう。
本文が読みづらくなる読者が増えてくることは間違いない。その人たち
は新聞に愛着があったとしても、読めなくなればおのずから購読しなく
なる。
今後、新聞の読者が現象するおおきな要因は文字が読めなくなるから、に
なるのではないだろうか?
どこか,今の1.5倍、2倍の大きさの文字の新聞を作ってくれないだろうか?
そうすればもうしばらく読むことができる。
各紙のなかでどこか、この大きな文字サイズの高齢読者向け新聞をつくったら
その新聞は高齢者のオピニオンリーダーになれること間違いなしである。