2013年10月 4日
ドイツのメルケル首相が再選された。
報道によれば圧倒的な支持だそうである。
メルケル首相については1950年代後半のアデナゥアー氏になぞらえてその圧倒的な指導力を伝えている。その人柄の表現の中で面白いのは「偏見のないリベラルな保守の代理人」という表現である。
私がメルケル氏に特ぬ注目するようになったのは3.11のあと、メルケル氏が福島の事故を見て原発廃絶を宣言したときである。それまで熱心な原発推進者だったはずなのに、なぜ?と思ってのがきっかけである。
その時のメルケル首相の回答は、原発廃絶は経済的でも技術的な問題でもなく倫理的な問題だからである、といったことである。この一言を聞いて日本の政治家あるいは財界人との考え方の次元の違いを感じた。日本の政治家あるいは財界人は二次元あるいは一次元で物事を考えているのに対しなにか三次元的に考えている、と感じたのをはっきり記憶している。
ところで、最近、小泉元首相が原発廃絶を唱えている。小泉氏の発言に対するコメントは実に二次元的、あるいは一次元的ばかりであり、10月1日の発言に対するネットのコメントを見てるが倫理的観点からのコメントは皆無である。
先のメルケル首相の原発廃絶の発言と小泉元首相の発言についてその意図するところになにか共通のものを感じる。それは小泉元首相の発言も政治的、技術的な次元を超えて社会倫理的な観点からの発言ではないか、と感じられるからである。
小泉氏の発言によって原発の議論にいつごろ倫理的な観点が入っていくるか、しばらくこの発言にたいするコメントを追いかけてみるつもりである。
ポイントは使用済み核燃料の処理ができないのがわかっていながら、これを見て見ぬふりをして推進することが本当に経済的であるのか、社会的であるのか?ということだろう。